ラースと、その彼女


あの町、あの場所でしか成立しないおとぎ話だけど、主人公を演じるライアン・ゴズリングのまなざしを見ていると、納得させられてしまう。



アメリカ中西部の田舎町。独り住まいのラース(ライアン・ゴズリング)は、仕事場と自宅を行き来するだけの毎日を、兄夫婦はじめ周囲に心配されている。そんなある日、彼が皆に紹介した「彼女」は、リアルドールの「ビアンカ」だった。


まずはラースが職場の同僚に「リアルドール」を勧められるシーンの後に出る「6週間後」のテロップに、色々想像させられて可笑しい。
巨大な木箱に入れられてやってきたのは、「ブラジル人の宣教師」ビアンカリアルドールの売りは(同僚いわく)「自分好みにカスタマイズできること」だけど、ラースの好みはああいう女性だったのか、それとも同僚が世話を焼いたのか、そこのところが気になった。服はあれしかなかったのかな?とか…
いずれにしても、遠い異国からやってきた、自分を救ってくれる人、ということだ。私は、心の安らぎと性的な要求とを同じ相手に求めなければならないことの葛藤(そういう社会に馴染んでいるがための苦悩)を感じるけど、ラースにそういう迷いはないようだ。


ラースが「おかしくなった」のか否かは描かれないけど、私は作中ずっと、リアルドールを「生きている」と認識するのはともかく、その声が聴こえるということはどういうことなのか、考えていた。ラースはビアンカの口に耳を寄せ、彼女の意図を代弁する。「彼女はお酒は飲まない」「ぼくのことを知りたがってるんだ」等々。これがどういうことなのか、よく分からなかった。
だから、彼が(自分とビアンカの)声を使い分けて「LOVE」を歌うシーンはとても面白かったし、町のドクター(パトリシア・クラークソン)の「彼が決めてるんです、始めから全て」というセリフには、そりゃそうだよなあ、と安堵させられた。そうなんだ、当たり前のことだけど、世界はそれぞれ、ある誰かのものでしかないんだ。
ちなみに同行者は、「あれが『人形』(の声を聴く)だと変人に思われるけど、『神様』だと偉くもなれるんだから、へんなものだ」と言っていた(笑)


兄を演じるポール・シュナイダー(今となっては「ヒーローズ」のサイラーに似てるとしか思えず笑える)、その妻のエミリー・モーティマー、またドクター役のパトリシア・クラークソンなど周囲の人々の存在がとてもいい。
とくにドクターは感じがよい(パトリシア・クラークソンはもともと好きな女優)。きわめて普通の、常識的な女性。「無理に話さなくてもいいのよ」というのがカウンセリングの基本なんだと改めて分かる(笑)お昼にデスクで食べてた、タッパーに入ったものはなんだろう?


ラースは、兄夫婦の自宅(元は兄弟が両親と暮らしていた家)のガレージを改装して住んでいる。中にはベッドとちいさな机に椅子。夜に帰宅して、一瞬の後に即座に明かりが消えるシーンが可笑しかった。