ドライヴ/スーパー・チューズデー 正義を売った日


ライアン・ゴズリング主演の新作二つ。前者では(私には)名前の分からない役者たちが、後者では名の知れた役者たちが、ライアンを十分盛り立ててた。ひょうたん顔が得意じゃなかったけど、彼のこと、だいぶ好きになった。



「ドライヴ」は、強盗犯の逃走請負人「ドライバー」が、惚れた女のために危険を冒す話。
多分初めてじゃない。銃でも素手でも躊躇せず、「てめえ素人だな」と言われれば無言で電話を切る。手負いで消える「シェーン」でもあり、いつものつもりがえらいことになる仕事人でもあり、仮面を付けたヒーローでもある。何でも入れりゃ偉いってもんじゃないよ、いやそういうつもりじゃ…という感じの映画。
冒頭、面白くて80年代の匂いがすると何でもジョン・バダムぽい!と思ってしまう症状が出るも(好きだから/ロスの夜景がブルーサンダーを思わせるし・笑)、オープニングタイトル以降はさほど80年代ぽくなかった。もっともヨーロッパの80年代ならそうかも。
この手の映画の恒例、お仕事紹介のくだりが面白い。車を出したと思ったらいきなり「隠れる」。カーチェイスってそう好きじゃないけど、ああいう、一手一手差してく感じのは新鮮だ。ライアンの、上空のヘリも視界に入れつつハンドル握る時の中空さまよってるような顔、追手を振り切る時の苦しそうな顔など、運転中の様子はいずれもかっこよかった。エレベーターの中でどすどすやってる時の、どことなくダサい後姿もいい。排水路のデートは、スーパーマンスパイダーマンもしてきた、得意技のあるヒーローならではのおもてなし。
一方のヒロイン、キャリー・マリガンも可愛かった。きちんと目化粧した彼女は久々。首から下の格好と合ってない気がするも(ああいう服着る人がああいう化粧するか?)、私もヘアピンしてみよっかなと思わせられた(多分しないけど…)。
全体的には、上手く言えないけど、カットが替わる時に遠近感が狂う感じがするっていうか、乱視みたいな映画だなと思った。それから、ライアンが出てない時は全然面白くなかった。これも上手く言えないけど、全てが「ドライバー」、サソリの性のヒーローを描くためにあり、彼が居ない画面にまで手が行き届いてないように思われた。



「スーパー・チューズデー」は、選挙コンサルタントが大統領選において揉め事に巻き込まれる話。
ほんの数日間で主人公の何かが大きく変わる、しかし外からは恐らくそうと分からない、そんな映画はたくさんあるけど、その感じがよく出ており面白かった。ライアンのドアップのラストカットの後、どーんと「監督 ジョージ・クルーニー」と出るのが、そういや(さっきまで見てた)この人が監督だったんだ、としみじみさせられる。大統領役が彼というのは、私にはちょっと、重すぎる気もしたけど。
加えて面白いのは、主人公以外の人物の「他人」感。ライアン演じる主人公に対し、フィリップ・シーモア・ホフマンがおり、ポール・ジアマッティがおり、マリサ・トメイがおり、ジョージ・クルーニーがいる。皆が主人公と一対一で接するので、こちらとしては適度な距離感を覚え、裏ではそれぞれ違う顔を見せ合ってるんだろうなあ、なんて想像してしまう。更には次第に主人公もこちらから離れ、どんどん「別人」になっていく。


(以下、終盤の展開に触れます)


だから、主人公の知り得ない場面の描写が最低限ならもっと面白いのになあ、なんて思ってしまった。ホフマンの床屋の場面くらいはいいけど、インターンモリーエヴァン・レイチェル・ウッド)についての描写はあんなに要らない。私には彼女のくだりは情緒的に過ぎるように思われた。ああいう様子をたっぷり見せて「悲劇」要素を盛り上げないと、主人公の「変化」がドラマチックに見えないからだろうか。最後に「イヴの総て」式?に、冒頭と同じような「ブーツ姿でコーヒー抱えた女子大生」がやってくる、あれだけで十分なのに(あれだってくどいくらいなのに)。