アメリカを売った男


2001年に逮捕されたFBIのベテラン捜査官、ロバート・ハンセン。20年以上に渡りKGBに国家機密を売り渡していた男。映画は事実に基づき、彼の部下として内偵を行った訓練捜査官エリックの視点で描かれる。ハンセンを演じるのはクリス・クーパー、エリックにライアン・フィリップ、その上官にローラ・リニーなど。



この映画で描かれるのは「スパイ」のハード面でない。スパイとしてのハンセンのあり方や、現行犯逮捕までの過程はさほどユニークではないし、彼の監視を命じられたエリックの仕事は、その退社時間を記録し、隙を見てパソコンの中身をチェックするなど地道でアナクロなものだ。二人の働くFBIのオフィスも色気は皆無で、殺風景な廊下に使用許可待ちのDELLのコンピュータや不使用の椅子が無造作に並んでいる。
物語の前半、エリックは新たな上司のことを悪く思えず混乱する。任務を認識していながら、誰かと親しくなるというシンプルで甘美な楽しさをつい味わってしまう。用心深いハンセンの側も同じだ。そのあたりの描写が面白い。
捜査課がハンセンの車両を調べている間、本人が戻りそうになり、指揮を取る副司令官(デニス・ヘイスワード)がしごく普通の顔で「間に合わないかも」と言うシーンが印象的だった。やれることをやって、だめならそのとき、またやれることをやる。それが大切だ。


物語には宗教が大きく関わっている。妻の影響でカトリック信者となったハンセンは、彼女を愛し、孫に慕われ、日々教会に通うが、職務に背き母国に損害を与える。神のしもべであることが唯一不変の「善」なのだ。
欧米の映画にはこうした道理がよく見られる(最近だと「アメリカン・ギャングスター」など)。善悪の基準や価値観は状況により異なる。宗教とは関係ないけど、私は自分の信念に沿って真面目に生きているつもりだけど、他人に評価されたらそうとは限らない…どころか不真面目と取られる可能性も大きい。面白くも辛くもあるところだ。


ラスト、逮捕されたハンセンは動機を問われてはぐらかす。それまでカメラに淡々と捉えていた彼の顔が、突然なまなましくなり熱を帯びる。しかし真実の一つらしいことも口にする。



「動機はエゴだ。多くの仲間と並んで仕事をしている…皆必死に裏切り者を探している。それは自分なんだ」


ところでローラ・リニーはハンセンを「性倒錯者」だから「FBIの恥」だと言うが、彼女が彼の性習慣について挙げるのは「妻との性生活をウェブにアップする」「ストリップバーに通う」ことのみ。なぜこれらが「倒錯」なのか分からない。宗教・文化の違い、字幕のニュアンスによるのだろうか(もちろん法の見地から以外、そうした線引きの定義なんて無いけど、それにしても)。
もうひとつ、捜査課の室内に、大きく引き伸ばした彼の顔写真が貼ってある意味が分からなかった。たんに士気を上げるためだろうか。いずれにせよ、他の部分の地味な描写とちぐはぐな感じを受けた。