椿三十郎


公開初日、バルト9にて観賞。


同行者は「山本周五郎の人情ものなんだから『ついほだされて…』というところがポイントなのに、織田裕二があんなに力んでたら意味がない」と言っていたけど、結構面白かった。最後の対決シーンにはがっかりしたけど…オリジナル版では、なんてきれいな死に方だと感動したので、今回の、散々あれこれのあとに立ちくらみ?とでもいうような撮り方にはがっかりした。



ただ今回、「リメイク映画を作る」ということの意義について、初めて意識した。
黒澤明の「椿三十郎」はとても面白い。でもリメイク版は、その脚本に忠実に沿ったうえで、カラーで、セリフも若干現代的で、現代の観客の見知った顔が出てきて、当たり前だけど私達にとってはより「分かりやすい」。面白い話を埋もれさせず、分かりやすく再提供するということには意義があると思った。実際劇場では笑いが何度も起こっており、楽しく観られた。


オリジナル版にはドリフのコントに通じる笑いの雰囲気があるけど(三船敏郎に9人がぞろぞろついていくところとか)、今回もより現代的にコメディ風の味付けがされており、楽しかった。脇役のおかげだ。西岡徳馬小林稔侍・風間杜夫の間抜け三人組、とくに風間杜夫の演技が楽しかった。
最後まで顔を見せない城代家老は誰だろう?と思っていたら、あの人だったなんて…私は以前、ロケ中(「刑事」中)の彼を歌舞伎町で見たことがある。
それから、先日DVDで「ドルフィンブルー」を観たばかりなのに、エンディングロールを見るまで松山ケンイチが伊織役だと分からなかった。この人の顔、いまだに認識できない…
豊川悦司は、とにかく声が役に合ってない。同行者が「(諮られたと気付き飛んで戻ってくる場面で)ロデオマシンに乗ってるのかと思った」と言うので笑ってしまった。
織田裕二については、ああいうふうに自分を信じて堂々と演じることが、スターに必要な資質なんだと思った。


大目付側が出したおふれを皆が読んでいるシーンがどうにも気持ちわるかったんだけど、後で話していて、集まっていたのが皆「侍」だったからと分かった。町中なのに女や子どもがいない。他の場面でも、敵方の集団は格好の差異もなく、まるで軍隊のようにきっちりまとめられており、その統一感に違和感を覚えた。


印象的だったのは、椿の目印に、喜び勇んで飛び石を駆けてゆく9人の足元を映したシーン。椿三十郎のような「才能のある」人間でなくとも、見る立場によるけれど、輝くときがある。だからこそ人間って愛しいものだと思った。
そもそもこの映画って、女子(的感覚を持つ者?)にとっては、ふつうの男の子の集団が健気にがんばるのを応援するのが楽しい。私の感覚では、とある目的を持った集団に、いきなり三船敏郎のような者が入ってきた場合、自分を集団側の一人と置き換えても、三船側と置き換えても、複雑な立場・気持ちになってしまう(顔には出さずとも)。それをあんなふうに、目的に向かってストレートに頑張れるなんて、それが男子というものだと思った。