幕末太陽傳




「私、毎年一両ずつ貯めて、十年後に十両お支払いします」
「十年後とは、このご時世、どんなふうになってることか」
「時代が変われば私も変わるわ、もっとお金が貯まってるかも」


月光ノ仮面」にがっかりしたので(落語の映画だと思ってた私が悪い)、その気のなかった「幕末太陽傳」デジタル修復版を滑り込みで観てきた。スクリーンで観たら、やっぱり楽しかった。


二谷英明が落とした懐中時計をフランキー堺がすかさず拾い上げるオープニングから一転、タイトルと共に映るのは制作時・昭和32年の品川の線路の群れ。黛敏郎による音楽、加藤武の「東海道線の下り列車が…」に始まる語り、品川宿の「現在」の様子、豪華キャストのクレジットを追うのが大変で、幸福な多忙とはこういうことかと思う。やがて「さがみホテル」のネオンサインが「相模屋」の行灯となり、舞台は再び幕末へ。


「現在」と物語の舞台となる幕末との混沌が映画を泡立てる。冒頭からフランキー堺はドラムのバチ捌きを見せ、「わかいし」役の岡田真澄が「あっしは品川生まれの品川育ちで」と何度も繰り返し「そのツラでか!」と笑い飛ばされるのにも、奇妙な立体感を覚える(後に女郎が置いていった「ハーフの捨て子」だと分かる)。岡田真澄のキャラクターの果たす役割は大きく、柱となってる落語「居残り佐平次」において、私はわかいしが居残りをねたむくだりに少々どす黒いものを感じてしまうんだけど、本作では情けなくも愛らしい彼がその筆頭であることで、空気が和らいでいる。


本作を観るのは何度目か。学生時代にはぴんとこず、落語を聴き始めた頃には元ネタが分かるのが楽しく、それからしばらく(といっても数年)経った今、落語会で居残りや文七にまたかよ!長いんだよ!と思ってる身としては(笑)ネタになってる演目が複数あることで、一つ一つの扱いが軽くなってるところが嬉しい。関わるのが居残りだから、どの噺も辛気臭くなく、軽快に捌かれる(「文七元結」のあの扱い!長兵衛は博打がやめられず娘を売ってしまう・笑)。「だくだく」までやってくれてたのには初めて気付いた。
「修復版」を「スクリーン」で、というのでセットや小道具などがよく見えるのも楽しい。相模屋のどっしりした造り。わかいしが下足札を散らし盛り塩をする描写のすごい迫力。ご丁寧にもちゃんと滲んでいる「起請」。徳三郎(梅野泰靖)が居残りから借りた着物をさらりと纏った立ち姿の「若旦那」ぶり。おそめ(左幸子)が頬杖付くのに、手の平じゃなく甲を顔に付けてる可愛らしさ。加えて本作ではセリフが聞き取れないのが当たり前と思ってたけど、何を言ってるかほとんど分かった。


居残り=フランキー堺が「病にゃ女は禁物」と全く性欲を持たない(示さない)のには妙にそそられる。おそめとこはる(南田洋子)もだから惹かれたんだろうと思う。他人とあまり目を合わせない様子もいい。博打をしに来た若旦那に「いいんですかい?」の場面などちょっとしびれてしまった。
本作では人物の顔がアップになることはほとんど無いが、何度か居残りの顔が大映しになる場面があり、いずれも唐突な、無骨な感じを受ける。それは大抵、彼が「死」を意識する時だ。特に終盤の杢兵衛お大尽との一幕。(少なくとも今の)落語ではギャグキャラであるお大尽が、コミカルな音楽で緩和されつつも、ここでは死神のように感じられる。


攘夷派の志士達のパートは鈍重な感じがするので、無ければいいのにと思ってしまうけど、高杉晋作役の裕次郎には確かに華がある。登場シーンが寝転んでの下膨れの顔というのがいいし、着物の上からもお尻が高いのがよく分かる。
よく見ると動物が色々出てくるのも面白い。痩せこけて毛がぼさぼさの犬が尾を振りながら走り回っていたり、相模屋では、金ちゃん(小沢一郎)が待ちぼうけの手慰みに猫の蚤を取っていたり、喜助(岡田真澄)が暖を取るためか同じ猫?を懐に入れて寝ていたり。座敷牢には住人のように大きな顔をした鼠、路地裏にはニワトリ。どれも全然可愛くないけど愛らしかった。