ジャージー・ボーイズ



ポップコーンの進む映画だった!なんて小気味よく愛らしい。



「サックスを入れたらどうかな」
「いや、ホーンセクションだ」


(この「ホーンセクション」は、なぜあんなに異様とも言える、全てをつんざくような音をたてるのか?)


ジョー・ペシだってニュージャージーじゃジョーイ!ならば(彼の出演シーンは軒並み笑える)ボブ・クリューだってニュージャージーの出身だった。
誰と誰を見ても楽しいけど、私としてはトミー・デヴィートとニック・マッシの関係が面白かった。フランキーが「天使」として皆に期待されているのと違い、たまたまの仲間の二人。「回転扉」状態で入れ替わりで刑務所に入る際、いずれもフランキーに「歌を練習しておけ」と言い残す。無銭宿泊で収監された際、トミーと彼を責めるボブのやりとりに思わず笑ってしまうニック。独立すると息巻くニックに「昼まで寝てるお前には無理」と言い放つトミー(このセリフに彼の性根が表れてること!)ジップ邸での話し合いの席での盛大な仲間割れ(ここでのトミーのアップの印象的なこと)、「90年」に再会してのさり気ない「トミーチ」「マッチョーチ」。この「腐れ縁」とも言えないただの関係がいい。


ニュージャージーの出身ではないボブ・ゴーディオは初登場時、イーストウッドの娘によるウエイトレスに「あなたって遠くの国の人みたい」と口説かれる。
生粋の「作曲家」である彼の場面には音がつきもの。バスの座席で「Sherry」の旋律を思い付く直前、車のクラクションが奏でるメロディ。新曲を持ち込むも「フランキーはニール・セダカじゃない」とにべもない社長に「あなただって心の底の、底の、底の方には…」(原作のミュージカルの観客の笑い声が想像できる場面の一つ)と詰め寄る場面では、背後でキーボーディストが当の「Can't take my eyes off you」を練習しているのが憎いアペリティフ
「Big girls don't cry」誕生直前の場面からは、プロデューサーであり彼らの作詞も手掛けていたボブ・クリューとボブ・ゴーディオ、それぞれの音楽家としての在り方が伺える。この場面を見る限り、クリューには言葉の、ゴーディオにはイメージから曲を作る才能があるように受け取れる。


マフィア&芸能ものという「男」映画だから、「女」は妻、娘、愛人のいずれかに振り分けられるキャラクターしか居ない。監督自身が「出演」したかと思えば、それはボブが「男になる」場面。女の手で「切られ」るのがイーストウッドらしい。「センチメンタル・アドベンチャー」でカイル君の「喪失」の際にピアノを弾いていた姿同様、「男になる」のを陰で見守りたいとでもいうようなセンスにはホモソーシャルを感じる。加えてフランキーと娘のフランシーヌの場面になるたび、カイルによる「フランシーヌのテーマ」的なものが流れるのは、ちょっと気持ち悪いなと思ってしまった(笑)
印象的だったのは、フランキーが血相変えて飛び込んできた際、トミーが愛人を場から外させるのに「俺にキスしてから行け」と言うところ。こういう場面を見ると、「黄金銃を持つ男」のロジャー・ムーアが女の尻を叩いて追いやってたのを思い出す。意味は同じでも、ファンの贔屓目か、キスにイーストウッドの愛らしさを感じた(単に元のミュージカルにそうあるのかも、とも思うけど・笑)


オープニング、道を横切ってやってくるトミーが語り掛けてくる…「僕の名前が付いた通りもある」。これは「いつ」なんだ?そのうち当人が「当時」と「当時を振り返ってのナレーション」を同時に演じていると分かるも、始めはショックを受けた。
ナレーションによる演出は、原作のミュージカルで行われていたんだそう。映画ではバンドの産みの親であるトミーが始め(誕生)、フランキーの歌に惚れ加入したボブが引き継ぎ(成長)、「2年前」から爆発の予兆を感じていたニックが引き継ぎ(分裂)、最後にフランキーが…と思いきや、彼は語らず、ようやくこちらに向かって口を開く「90年」まで、映画は宙に浮いたまま進む。この「間」にフランキーはフランシーヌを失い、音楽により「戻って」くる。彼はこの「間」のことを語れないのではないかとも思った。
「90年」のステージにおいてフランキーは、「自分の頂点は、街灯の下で四人で歌う、音楽しか無かった瞬間」だと言う。映画は最後に、あからさまに一人の男の夢を見せる。続くエンディングのミュージカル・シークエンスでは、次から次へと繰り出される「映画でしか見られないもの」に酔わされる。


ところで、大好きな「コーンヘッズ」の最後にモートン・ハルケットの歌う「Can't take my eyes off you」が流れるのは、この映画の舞台がニュージャージーだから(そして「移民」の話だから)なのかな、ということに初めて思い至った。フランキー・ヴァリ、あるいはフォー・シーズンズアメリカの「何か」のようだ。