アユニ 私の目、愛しい人


イスラーム映画祭にて観賞、2020年シリア=イギリス、ヤスミーン・フッダ監督作品。アサド政権下に行われている強制失踪を世に訴えるドキュメンタリーで、作中では2011年からの被害者の数が10万人とあったけれど上映後のトークによると現在は15万人を超えているのだそう。映画好きなら「シリア」と出てくる作品をこの十数年で何本も見てきただろう、その間ずっと犯罪が、今なお行われているということだ。

携帯電話はIDかつ「殺人を止める道具」であるという話に始まる。反政府派のメディアセンター設立の意図や衣服の中に携帯を隠して録画するやり方の説明がなされる。「命懸けで撮影する人のおかげで世界に伝えることができる」…すなわち世界はこれを知れば殺人を止めると映画の中の人々は言うが、今、止められていない。募金や不買をするだけの私はどうだと思うけれども、上映後の専門家も専門家の山崎やよい氏の話に何と言うか自分も世界の一部である確信を得た。この映画祭の前説、映画自体、トークの全てがメディアなんだと思う(前説内の映画祭における金銭事情だってそう、話してくれた方がいい)。

シリア有数のプログラマーであるパレスチナ系シリア人のバーセル・サファディは「包囲中の家の中で知り合った」ヌーラと愛し合い「彼女がいるから活動できる」と語っていた。婚約パーティの時の「町を歩いてきたから髪も靴もどろどろ」なインタビューでは、二人が顔をあまりにくっつけているためアップになるとスクリーンが二人でいっぱいになる。イタリア人の著名なパオロ・ダル・オグリオ神父は「シリア人皆に愛されている」「ラッカに来た時なぜあんなに喜んだのかと皆が後悔している」と語られる。

強制失踪を世に訴えるバスに始まるこのドキュメンタリーは、バーセルのパートナーである人権弁護士のヌーラと神父の妹マチを始めとした遺族らの活動やその周辺を私達に伝える。スピーチの際のヌーラの「彼の『どうせ死ぬ』に私はレバノン人だからジョークで返した、どうせあと15年は紛争が続くんだからって」、動画撮影の準備の際のマチの「兄が戻ってきたらただじゃおかない」といった笑いと共に繰り出されるいわば当事者ジョークに、人がジョークを言うのには常に背景と意図があると思う。マチが録画の際は英語の発音に気をつけなければと話すのも心に残った。