タタミ


東京国際映画祭にて観賞。2023年ジョージアアメリカ、ザル・アミール、ガイ・ナッティヴ監督作品。

冒頭、他国の選手との会話でレイラ(アリエンヌ・マンディ)は自身が送っているのは「異常な生活」だと言う。300グラムを20分で減らし躊躇なくヒジャブを剥いで計量に臨む場面でそういうことかと思う。それはとにもかくにも畳の上での勝利のためである。あらすじから『私はニコ』(2021)『オルガの翼』(2021)などを連想していたけれど、モノクロの映像も手伝って意外にも『オリ・マキの人生で最も幸せな日』(2016)が重なった。カメラの元々の目的は違うけれど、人間について回るそれはどちらも、スポーツだって個人に帰すことを表しているようだった。映画はバスの車窓風景に始まって終わり、そんなこと言われなくても気付かねばならないが、最後にこれは自由を奪われた人々の物語の一つだったと分かる。

コーチのマリアム(ザル・アミール)から棄権するよう言われたレイラは国で皆と試合を見ている夫に電話する。それは相談などではなく「私は国に逆らうから工作員が来るはず、息子を連れて逃げてくれ」という内容…決意表明と指示だ。女がこのようなことを(女に対しても、ましてや男に)告げる作品は見たことがなく、この力強さがまず素晴らしい。更にその後に挿入される二人のエピソードから、家族は国に管理されるものではないという主張が伝わってくる。

会長からの電話(彼もまた上からの力に怯え切っていることが伝わってくる)を受けたコーチが目が眩んだような感覚を覚えるのが映像で示されるのに、彼女がかつて権力に屈服させられた、傷つけられたことがあると分かる。レイラに権力が及ぶ前にくいとめようとするも、老母を人質に取られての脅迫などにより恐怖に支配されてしまう。鏡の中にレイラの傷を見た後の決意、分断された後に触れ合う手と手に希望があった。これは年長の女が…自分の方が助けなきゃと思っているのに、実際その責任があるのに…下の世代の女によって救われるという話でもあった。表舞台で活躍などするわけではない私にもそういうことがあるのでは、だから常に救える可能性と救われる可能性とを忘れちゃならないと考えた。