冬の旅


学生時代から四半世紀以上ぶりに初めてスクリーンで見て、やっぱりヴァルダってすごいな、いいなと思ったので感想を少し書いておく。オープニング、不吉なパイプのこちら側に歪んだ格好で倒れて死んでいるモナ(サンドリーヌ・ボネール)の体にしばらく誰も触れず、その服のシミにつき「ワイン祭りに参加したんだろう」と語る。建物などについた同じ由来のシミを洗い流すカットが数回挿入されるのをいかにもヴァルダだと見ていると、映画の終わり、こんな怖い祭りだったのかと戦慄させられる(あれはモナの主観でなくても、はっきりと、怖いだろう)。

「モナが死んだと知らない人々が彼女のことを話してくれた」とのナレーションにまず続く、彼女に遭遇した男達の、いい女だから見ていくかという会話や汚いなりだけど顔は可愛かったという証言に、誰かについて話すこと自体が暴力なのだとより強く確認させられる(あれらを聞いた時の身震いするような、尊厳が削られる感じ、陳腐な言い方だけど男性には分かるだろうか)。更にその姿をドキュメンタリーふうにカメラが撮り私達が見ることにより、他者を語る権力と他者を撮る権力が拮抗し、この世に色々な力が働いていることが浮かび上がってくる。その中心にあるのが、そうした力の作用の数々から逃れるために、私達の代わりに戸外を歩き続けるモナなのだ。

尤も作中のモナがゆくのは、語る・撮るとは別の次元の権力差の中。井戸での水の出し方を教えた女性は「あの娘のように自由になりたい」と願い、ヨランド・モロー演じる家政婦ヨランドは男と並んで眠る彼女に自身と恋人との関係を顧みて羨ましがる。そこには生きるためには男といなければならないが主導権は握れない、付属物でいるしかない女の夢が投影されている。男達はモナをかくあるべしと思う女の姿と比べて意見し評する。ちなみに『ワンダ』(1970年バーバラ・ローデン)は私には自分が寝ている内に他の人達が何かをしているということに対する不安を描いた話に思われたものだけど、こちらでは就寝中のモナの近くへやって来た男が大きな音をたてて起こす場面が二度あり、そもそも男は女を寝かせておきたくないのだと思わせる(だから安心して寝るもんじゃないよ、と言っていたのが『ワンダ』というわけ)。