パラレル・マザーズ


上映前に(1960年代のフランスで意図せぬ妊娠に見舞われた大学生を描く)『あのこと』の予告が流れた。映画の題材として何かを扱う時に色々な形のそれがあった方がいいというのは私にはつまるところ今現在それをどう扱うべきかという問題なので、この映画は妊娠をどう描くのかと見始めたら、これは妊娠の話というわけではなかった、悪い意味じゃなく。
とはいえ未だ珍しい「女が男を撮る」場面に始まり、何の話だったっけと思っているとジャニス(ペネロペ・クルス)が妊娠する。妊娠ってそういうものだということが描かれている。アルトゥロ(イスラエル・エレハルデ)とのやりとり「君との子どもは持ちたいけど、いつにすべきなのか」「いつも何も、今妊娠してる」(これは後のある場面でのジャニスの「(とある死を)防げなかったの」に対応しているようでしていない、同じナンセンスな問いであっても)。

作中最も新しい生命であるセシリアを映すベビーモニターのモノクロ映像の古めかしくホラー然としていること。それは子を失う恐怖に真実から目をそらすジャニスの心情の反映であり、彼女がそれを打ち明けた後にアナ(ミレナ・スミット)が「私のお姫様」とセシリアに語り掛けるとき踏み込んだペダルのように少々遅れて頂点に達する。対して映画終盤の、フランコ政権に家族を奪われた老境の親族を訪ねる場面は陽が降り注ぎ、真実の力強い明るさに満ちている。DNA検査の描写も対照的だ。
私にはこれは、確固たる居場所を持つ…あるいは心にそれを定めている女、いや女達と、まだ若くそれがなく、子を持つことで居場所を持つようになる女の物語に思われた(だからジャニスがアナに料理を教える場面も面白い)。ただ「実子」において後者のそれが起こるというのは少々釈然としなかったけれども。

アナの母親役のアイタナ・サンチェス=ギヨンが病室に現れ、オーディション時に自身を『老嬢ドニャ・ロシータ』のロシータ役に提案したと話す場面に突如激しくアルモドバルを感じた、ロッシ・デ・パルマの顔を見た時よりも。振り返れば彼女こそがある意味、最も自分の居場所を持っていたのであり、ゆえにジャニスに好意を抱いたのではないかとふと考えた。