グランツーリスモ


ブロムカンプの映画ってこんなにテンポがよかったっけと驚いてしまった(振り返るとそれは「時間がないので」と言いつつ噺をはしょるのでなくいつもより早口で済ませる落語家…実際にあった話…のようなものでテンポじゃなくスピードの問題なのかもしれないけど、どちらも気持ちいいことには変わりなかった)。所々ストップするタイミングもセンスがいい。ヤン(アーチー・マデクウィ)がもしかしたら初めて楽しく車を走らせる時、トレーニングの際には撒き散らしていた枯葉がタイヤの周りを舞う軽やかさに心が躍り、最後のレースで「自室」に帰るシーンの熱さに体が火照った。エンドクレジット時の映像もあれしかないという感じ。

「車の下」からジャック(デヴィッド・ハーバー)が登場する場面に流れているサバスが彼がヘッドフォンで聞いている音楽だったという映画お馴染みの演出は、大げさに言えば世界の何たるかを表すことができるから、彼とヤンのそれが繰り返される度に意味づけられて面白かった。まだ若いヤンが自分の世界がだだ漏れしていることに気付かない「勝負曲」のシーン、ジャックだけの世界だったサバスが映画そのものに、すなわち外の世界と一体となるル・マン冒頭のシーン、そしてヤンがフラッシュバックで恐れをなした時にジャックが二人で共有しようと「勝負曲」を使うシーン。

なぜヤンは元レーサーにして現「メカニック」のジャックの過去を(他者にほのめかされていながら)検索してみないんだろうと見ていたんだけど、単なる映画の都合と言えばそうなんだろうけど、ジャックがヤンを彼の事故現場へ連れて行き自らについて語るシーンでふと、この映画は世界は共有できるという話なんだと思うに至った。仮想現実のようにいわば開かれているものもあれば個人から個人に伝えられるものもあり、ヤンがライセンスを得た晩にジャックが「教えることができない」と語るレースにおける感情、感覚のように互いに意思があるだけでは共有できない類のものもある。ヤンも「それ」を持っていると知った彼がとても嬉しそうにする姿が作中最も心に残った。