熊は、いない


単なる街角が「映画」になってゆく見事なオープニングに、それにしても「めくるめく」すぎやしないかと訝しんでいたら、それはパナヒ演じるパナヒがイラン国内の国境近くの村からリモートで撮影している映画なのだった。始めこそ「パナヒが紡ぎたい物語の具現化、ただしスタッフや役者のせいで思う通りにいかない」ものに見える。しかし彼が細かく指示を出すこの映画は「ありのまま」を映すという体で撮られていることが分かってくる。役者の一人と手配師が画面の奥へ去ってゆく後ろ姿を捉えた映像はまるでこれまでのパナヒの映画のラストシーンだがこの映画はそこで終わらず、次の断片でもう一人の役者が「あなたはありのままを撮ると言うが思う通りにしたいだけ、映画の後で私達はどうなるのか」と怒りを露わにする。このパートが自身の映画作りの断罪だと分かる。

村人がパナヒを「先生」と呼ぶのは、ペルシア語というかこの地で映画監督を先生と呼ぶ文化があるからなのか、村長の紹介による「都会から来た、高級車に乗った、偉い人」だからなのか私には分からない。冒頭よりパナヒは(映画監督だからではなく彼そのものが)鼻持ちならない人物として描かれており、村の儀式に出かけようとしている矢先の、厄介になっている家の息子に梯子を出させたり屋根に上らせたりしても平気な顔、更には儀式を撮影してくれと持たせたカメラの映像をチェックするのに自分だけ椅子に座って意に介さない様子には随分前の学校での出来事を思い出した。休み時間などに着席している学生と話す際、見下ろしたくない気持ちから通常腰をかがめるも面倒になり膝を折ってしゃがんだら気を遣った相手が椅子から下り、二人して一瞬、床で向かい合うはめになってしまったというものだ。村人はあの時の学生のようだった。

村長が村の青年にいわく「お前が大学に行けたのは皆が金を出したから、学を修めれば暴力じゃなく言葉で問題を解決できるようになると思ったから」。しかし都会へ行った当の青年が一番、そんなことは不可能だと知っており、村人達のように先生ではなくパナヒさんと呼びかけた上で監督の現状を踏まえて「言葉じゃ何もできないと分かっていますよね」と同意を求める。村の望みは暴力(的なこと)からの離隔だが辺境であるという環境がそれを許さない。農業が立ち行かないので密輸で生き延びているというのもそうだし、「川べりで女を待ち伏せ暴行して嫁にしていた」昔とは違えど臍の緒の伝統が中途半端に生きているために結婚を望みつつ「30になっても独身」でいるしかない男の苦しみが吐露される。

パナヒは国内ならば移動ができる。テヘランの近くに適当な村がいくらもあるのに何故わざわざここへと問われた彼はたまたま村長に話が通ってなどと言うけれど、トルコの撮影地から少しでも近くに居たいからかなと思った。そのことはヴァルダが出産で家から離れられなくなったのでケーブルが届く範囲内で撮った『ダゲール街の人々』をふと思い出させた。