バーヌ


SKIPシティ国際Dシネマ映画祭のオンライン上映にて観賞。2022年アゼルバイジャン・イタリア・フランス・イラン、ターミナ・ラファエラ監督作品。殉国者は死せず、国家に分断なし。奪還もしくは死…奪い返した地に帰る人々の喜びの舞の脇で抱き合う、戦地に戻るらしき男性と女性のカップル。

男達の顔は見えないオープニング、こちらを見据えるバーヌ(ターミナ・ラファエラ)はfamily conflictを扱う余裕はないと言われる。我々はじきナゴルノ・カラバフを取り戻す、喜ばなくてはの後に彼女の名のタイトル、その意味するところは個人をおいて国家だけが守られる中で息子を育てる母。女達の足並みはなかなか揃わない、だって目覚める時、行動できる時が重なるわけじゃないから。
「パパがアルメニア人は悪い人だって」と言う息子ルフランへの「(略)ほら、アゼルバイジャンにも悪い人がいる」なんてセリフから、彼女がかつてどんな教師だったか分かる。夫の言うなりに「結婚生活と家庭を守るため」仕事を辞めた彼女はその後に就いた家庭教師の職も突如休んで迷惑を掛けるが、これは日本にもある、根は何なのかという問題に思われた。

冒頭身を寄せている母の家…元夫に「買ってもらった」豪奢な住まい…に帰ってピンヒールのパンプスを脱ぐのがバーヌのスタート。彼女と母をめぐるような鏡を使ったカットが見事だ。その後は親権争いの裁判のために証人を探して歩き回ることになる。
元夫からの洗脳(精神科医を味方につけるって何百年前からだよ)に加えて周囲からは少し我満すれば済む、なぜ強く抵抗しなかったのか、自分の選択の責任だろうとどこかで聞いたような抑圧ばかりを受ける。母親が「全然気付かなかった」と言うように元夫は外から全く分からないように暴力を振るってのけ妻は自分は被害者なんかじゃないと恥じて黙っている、これらは多分実際の幾多の例に沿っているんだろう。

元夫がバーヌの代理人の若い男性弁護士を「学生弁護士…学生みたいだった」と言うのがいかにもだ、そんなことをする奴は「一人前」じゃないと蔑んでいるんである。「やけに親密だったな」「彼には幸せな家庭がある」「男はそんなもので止められはしない」とは戦争の前に家庭などということだろう。