サンドラの小さな家


サンドラ(クレア・ダン)は、長女エマがしてくれたベッドサイドストーリーと次女モリーのレゴ遊びから自分達の家を作ろうと思い立つ。「聖ブリジットはコミュニティセンターを建てて皆を助けました」「そのお話、どうやって覚えたの?」「先生がしてくれたのは暗かったから、私なりに明るくした」。

ぼんやりした三つの人影のオープニングから、メイクにダンスと楽しいことをしているはずなのになぜか「陰」という言葉が頭に浮かぶ冒頭。振り返るとそりゃそうだ、暴力を受けている者がひと時でもそのことから逃れられる瞬間などないと思う。

女性支援センターを通じて滞在中の空港近くのホテルでは他の客の目につかないようロビーを通るなと言われる。暴力をふるう夫にばれないよう家を建てていることは秘密である。被害者なのに隠れていなければならない。サンドラの写真を撮ってSNSにあげようとする同僚を彼女が止めるくだりからは、被害者の現状、事例の多くは世の人々から「見えない」のだということが分かる。

「私に『なぜすぐ逃げなかったのか』じゃなく彼に『なぜ殴るのをやめなかったのか』と聞きなさいよ」(日本の「なぜ抵抗しなかったのですか」だよね、向こうに理由聞けよってやつ)。まともな質問をしない裁判長や「家を二つ手に入れるつもり?」(公営住宅の順番待ちの数字、650とかなんだけど!)などと攻めてくる夫の弁護士の前で、サンドラは「私は(あなた達と違って!)話を聞き続ける」と主張して、本来舐めずともいい辛酸を舐めた後に当然の権利をひとまず得る。被害者は被害者というだけで本当に不利益しかない。

夫がエマを通じて渡してきた昔の写真を見て、彼が恋しい、今のじゃなく昔の、元の関係に戻りたい、努力はしたのに、と泣くサンドラ。きっぱりした態度は取れず、訴状が届けば大工仕事中の仲間の前でかんしゃくを起こす。そんなの当たり前じゃないかと、映画は彼女の「感情的」な言動を映し出す。

そんなサンドラに対し「子ども達の前で泣いたって構わない」「努力しても全く通じない相手というのがいる」と優しくも諭す雇い主のペギー(ハリエット・ウォルター)。彼女は同様に掃除婦をしていたサンドラの母親がウイスキーを盗んだことにつき「パパのためになったからいいじゃない」と流す。パブの同僚はサンドラの「どこに住んでるの?」に「何人かで不法占拠してる」と答えていたものだけど、余っている物は使ってもいいだろう、システムに認められなくても。そういう精神の話である。