ミス・シェパードをお手本に



振り返れば、「作家」が少しずつ自己を解放してゆく物語だった。おかしな邦題だと思ったものだけど、好みじゃないけど間違ってはいない。終盤、アラン・ベネット(アレックス・ジェニングス)が夜道を自転車で「モノローグ」劇の上演のために走りゆく軽やかな姿には…そこには隣人が読んだという「鋭い」批評のようにまだ「心に惑いがある」にせよ…彼が走り出したことが見てとれてこちらも嬉しくなる。映画のラスト、彼は今も自転車で「走って」いるのだと分かる演出も楽しい。


冒頭「カムデン・タウン 1970年」と出るので、またしても「キャシー・カム・ホーム」のことを思い出してしまった。尤も「ミス・シェパード」の辿った道のりは「キャシー」とは全く違うものだけれども。彼女がアラン・ベネットのところに住んでいたのは1974年から1989年までというから、丁度私が生まれてから「生き始めた」頃だ。
話はべネットがグロスター・クレセント通りの入口、あるいは出口近くに家を買うのに始まる。一万何千ポンドか払ったという彼に、隣人が「うちならその倍かな」と言うのには、(年月を経て高騰しているという意味で)今年見た「ニューヨーク 眺めのいい部屋売ります」を思い出した。ベネットとミス・シェパード(マギー・スミス)の出会いからしばらく、彼が目にした、彼女への周囲の人々の待遇が描かれる。皆がミス・シェパードに「優しく」接するのに対し、施設に入ることを勧めるソーシャルワーカーだけが「『私達』も彼女が住み着くことを望んではいません」と口にする。ベネットは「We?」と問い返す。


通りの住人達の振る舞いについて、ベネットは「ヴィクトリア朝の邸宅を改築して住むインテリの若い世代はお金を持つことに罪悪感を感じており、ミス・シェパードに何かすることで良心の呵責を免れているのだ」と説明する。それならば、当の彼はなぜ彼女に「親切」にするのだろう?彼がバンを庭に置かせると決めたことにつき、親切にするが「それ以上」は関わらない隣人達が「なぜ」と不思議がる時の、アーシュラ(フランシス・デ・ラ・トゥーア)が若者の手に手をそっと置いての答え「Darling, she is a human being」、そして「彼は根が親切なのよ、夫もそうだった」ということに過ぎないのかもしれない。
「マイ・ベスト・フレンド」で最も素晴らしかった場面の一つでジャクリーン・ビセットの友人だったフランシス・デ・ラ・トゥーアが、こちらでもいい(アラン・ベネット&ニコラス・ハイトナーの「ヒストリーボーイズ」からの続投?出演)。ちなみに彼女演じる「アーシュラ」は「亡くなったレイフ・ヴォーン・ウィリアムズの妻」ということなので、調べてみたら詩人なんだね。彼女の詩を読んだことは無いけれど、ベネット同様その「言葉」が面白い(笑)


作家であるベネットは、「live」する僕と「write」する僕の二人に分かれている。冒頭ミス・シェパードのバンを押してやった「生活者」に向かって、「作家」は「ハロルド・ピンターならそんなことはしない」と言う。「作家」には書くべき題材があると考えている彼は、自分にその「ネタ」になる「遠地」での、あるいは「異性」との経験が無いことに劣等感を抱いており、処女作からずっと、自ら体験してはいないことを扱っている。
ベネットが「二人に分かれ」ているのはこのわだかまりのためだとも考えられる。しかし例えば、この映画はミス・シェパードの匂い…言うなれば「汚物」のユーモアあふれる描写の語りに始まるが、それは彼の中に「生活者」と「作家」が共に在るからこそである。彼自身も彼女との年月の内にそのことを受け入れ、価値を認め、最後に「生活者」と「作家」は融合する(作中では「同居人」を得たためというふうに描かれているが、それは「自己を解放した」結果に他ならない)。


ベネットは二人目のソーシャルワーカーに対し「僕が居て彼女が居る、ただそれだけだ」と言う。年老いた二人の女のうち、母親を施設に入れ、ミス・シェパードの近くに居ることについて、彼に罪悪感はない。つきまとう罪悪感があるとすれば他人を「ネタ」にしていることだが(母親を見舞った帰り、「彼の中の」ミス・シェパードにそのことを責められる)、それは先に書いた「融合」に伴って消える。
先のベネットのセリフには続きがある。ただそれだけ、「そこに『介護』は無い」。彼は「介護」という言葉も概念も嫌いだと言う。ミス・シェパードのところにやってきた医者や救急隊員が彼女に躊躇なく触れるのを、「作家」の彼が窓の中から見る場面は印象的だ(「彼は『たしなみ』のためにスカートも直した」)。終盤に分かるように、彼は(「皆は」と語られるが)介護の時間は「足踏み」だと考えていたのである。それが最後に「人生に足踏みなんてない」と悟るのだ。