AMY エイミー



予告に遭遇する度「またこんなふうに『特別な(才能のある)女性』を『普通の女の子』扱いして…」とむかついていたんだけど、実際に映画を見たところでは、エイミーこそ「普通の女の子」でありたいと望んでいたのだった。


エイミーが友人のために「Happy Birthday to You」を歌うプライベート映像に始まり、時系列順にその半生を追う最初から最後まで、スクリーンにはほぼずっとエイミーが映っている。彼女について語る人々は「声」のみで出演し、画面には彼らが知っていたエイミーの姿がある。二時間強、見ているこちらはエイミーに絡みつかれる形。
合間に挟み込まれるエイミーの歌は、「実体験しか書けない」と言うくらいだから、このドキュメンタリーにおいてその時々に起こっていることに当然沿っている。彼女の歌が、これまでとは違って聞こえる。中盤からはパパラッチのフラッシュをこちらも疑似体験する。まぶしくて苦しい。作中のパパラッチが最後に捉える彼女は、「冷たくなって」運び出される黒い袋である。


ドキュメンタリーを見る際に私が楽しみしている、「答え合わせ」的な要素も結構ある。例えば序盤にエイミーは作詞について「実際に体験したことしか書けないけど、きついものにはオチをつける」というようなことを言うが、後半に歌われ胸打つ「Love Is A Losing Game」に「オチ」は無い。「game」の相手に手を引かれステージから退場する姿はいたたまれない(あの曲にああいう背景があるとは知らなかった、この映画を見る限り、彼女にとって「父親」もそれに近い存在のようだ)
映画の最後には、トニー・ベネットの「生き方は学べる、長く生きれば」との引用が挿入されるが、彼とエイミーはレコーディングの際「歌は好きな歌手から学んだ」「それはいい方法だ」との会話を交わしているのだった(どう歌うかは他の誰かから学べても、どう生きるかは自分で生きてみるしかないということ)


エイミーと夫を診たお医者だったか?が「よくあるケースだと思った」(相手がドラッグをやることによって利益を得る者が、やめさせるふりをして実はやめさせたがっていない、という例らしい)と言うが、この、「よくあるケース」というのが妙に心に響いた。また、これも専門家が、ある時期のエイミーについて「当時の彼女はいい状態だった、四週間酒を飲んでいなかった」と言うのには、長く生きなければ、四週間だって、ある程度の長い期間なのだと思った。