キアラ


イタリア映画祭にて観賞、2022年イタリア・ベルギー、スザンナ・ニッキャレッリ監督作品。2020年の『ミス・マルクス』に続く伝記もの(その前作は未見)で、「女性の修道会のための会則を書いた最初の修道女」聖キアラの物語。

「お前はわたしのものだ」と連れ戻しにきた父親に髪を切った頭を見せ追い返した後(この父は伯父に言わせれば「優しすぎ」で妹など殺されそうになる)、「父親」的な存在のない共同体の皆で並んで歌い踊るミュージカル的場面の素晴らしさ。これはまず「対等」を恐れることへの抵抗の物語である。それを進めんとするキアラ(マルゲリータ・マッズッコ)がすごいパワーを持っておりどうしたって畏怖されもするというのが辛い。女の中にももちろん対等さに不慣れな者がおり、キアラ様に足を洗わせるなんて…と混乱したあげく頭を蹴飛ばしてしまうなんて一幕が面白い。

俗語で読んではいけないという聖書の内容を食事中に隣の仲間から口頭で聞きいい話だよねと自身を登場人物になぞらえて想像する、キアラの明朗さ。それがフランチェスコアンドレア・カルペンツァーノ)から女は旅に出てはいけないと言われた晩には自分の口にできないモロッコの「スポンジパン」をむさぼる彼の夢を見る。神の恵みのオイルとパンはむなしく、楽しい想像はもうできない。

面白いのがこれまでは表立っていた聖フランチェスコの描写で、今の女からすれば、女性のこととなると突然差別的になるといううちらが見慣れに見慣れた男なんである。そもそも「誰かを守るためには権力者にならねばならない、おれは権力者になりたくないから兄弟皆を守れない」との彼の考えは結局権力者の裏返し、皆で「小さき姉妹」として生きようとするキアラとのすれ違いが悲しい。しかしそんな彼も愛すべき人として描かれている。姉妹のために俗語で読んでやって、に加え彼の手による会則も読んだ翌朝、それまでの孤独がほとばしったキアラは思わず彼に抱きつくのだった。私はあの場面いいなと思った。