私はニコ


ドイツ映画祭にて観賞。2021年ドイツ、エリーヌ・ゲーリング監督、イラン系ドイツ人の女性ニコ(サラ・ファジラット、プロデューサー・共同脚本兼)の生きざまを描く。オープニングでは風に髪をなびかせ陽にむき出しの腕をさらし自転車で駆け、仕事先の人々と交流し友人ローザと自分のルーツの文化を楽しんでいたのが、差別による暴力の被害に遭いサバイバーとして生きていかねばなくなる。それはローザ、マケドニアから来たロニー、果たして誰の身に起こったか分からない。

路上で襲撃されたニコの目にぼんやり映る女性が被っているのがヒジャブなのかパーカーのフードなのか判然としないのに衝撃を受けていたら、序盤のローザとの会話で(ドイツ在住だがヒジャブを着用している女性について)「なぜ被るのか、だいたい髪を隠さないと襲われるからだなんて男性差別だ」と話していたニコが、被害の後には帽子にパーカーで顔を隠して外へ出る。こちらに因がない行為という意味でそれはヒジャブと同じである。パーカーのフードを被っていたのが許可証がなく警察を避けていたロニーだったことからしてもこの二つは重ねられている。

空手教室で竹刀を腹に当てる訓練からの発想か被害の時をフラッシュバックさせる電車の音を(何も感じなくなるよう)聞きに出向くのは「正しい」のだろうかと思いながら見ていたけれど、この映画は色々やってみるという精神に満ちているのだった。ルーツは違えどヒジャブ姿の少女とニコが並んで空手を練習している姿にもそれが表れていた。昨今サバイバー自身を描く作品が増えてきたおかげで主人公が選ぶやり方、道のりも様々になってきた。絶対よくないというわけではない領域での多様さはおそらく作り手が当事者に話を聞いてのものだろう、そこによさを感じる。