1640日の家族


これは面白かった。子どものための里親制度についての話でありながら、メラニー・ティエリー演じる主人公アンナを追った一級品の映画になっている…なってしまっている。ラストシーンが彼女一人や大人だけなどじゃなく家族全員というのに感心したんだけども、そのように全てを共有してきた中で、序盤にぐるっと回ったカメラが涙のたまった瞳を捉えた瞬間からこっち、「二人だけの秘密」を持ちかけてしまってから「私には分からない」と口から飛び出してしまうまで、そのどうしようもない心の動きが巧みに描かれる(ちなみにリエ・サレム演じる夫のドリスが作中一度だけやはり涙をためる場面には、そこか!と思わされる)。

音楽の使い方がめったにないほど大胆ながら端正なのも特徴。思えば設定も大胆と言える。例えば実親が男性であるのもそう、宿題のくだりなど、一緒に過ごす時間の限られている週末がそれで潰れるのは困るというエディ(フェリックス・モアティ)の気持ちも分かる反面、世に言われる男親の「美味しいところを持っていく」習性を描写としてなぞっているのではと一瞬思う…けれどもそうじゃない、これはこの場の問題なのだと考える。それは冒頭のアンナの「責任があるから」からしてそう、全ての言動に不思議と捉えどころがなく真実味が増幅されている。

職員のナビラが言う「全員にとって大変な時期」とはまさにそうで、一家の長男アドリと次男のジュール、最後には当のシモンまでもが「今」を守りたいがために懸命の提案をしてくる。胸が痛む反面、大人の役目とは「今」より後を考えることなのだと伝わってくる。だから映画の時間が進むにつれて、大人達の行動はどう結実するのだろう、すなわち物語はどこへどう進むのだろうと気になって仕方がなくなってくる。終盤に動物を見ているシモンの手を、初めて会ったのであろう他の子が握っているのが印象的で、自分の意思を世界へ反映させることがまだ出来ない子ども達の素直な優しさが描かれている映画でもあると思う。

ラストシーンには、いずれの階層であっても楽しめる娯楽が「映画館へ行くこと」なのかとふと思った。エディの住居を訪ねた際に「10階」と聞いたジュールが車内から見上げて羨ましがるのがリアルだったものだけど(こんな何気ないカットもドラマチックで秀逸)、名札を付けて働く、クリスマスには抜けられない恐らく接客業に就いている父親は、息子をこれからも雪山や海へは連れて行けないだろう。アンナ達の方も家の部屋数はそう無いようだけど自由度が高い。そんな彼女の方こそが「商業主義の奴隷」なんて言葉をいつも使っており子どもに移っているのも面白かった。