チャンブラにて



イタリア映画祭にて、ジョナス・カルピニャーノ監督の新作を観賞。二年前に掛かった「地中海」も上映されたので続けて見る。思い出したことに、「地中海」では今回見た「環状線の猫のように」「純粋な心」と同じく車のガラスが割られるが、ここではバットなんて贅沢なものは使わないのだった。


「地中海」ではバイクや車が恐怖やそのことから発する憎しみの対象として描かれていたが、ロマの暮らしと共にある馬に始まるこの映画ではその描写が更に一歩進んでおり、こういう乗り物映画もあるのかと思わされた。「地中海」においてその年に見た映画の中で最も印象的だったセリフを言ったピオが、またしても私の心に残る一言を口にする。「電車は速くて怖い」と。


この映画は「地中海」をあえてなぞり、二人の男の、境遇による生き方の違いを浮かび上がらせている。同じ手口の窃盗、共同体の集まりに顔を出す上位の共同体の者、涙、私達の前から去ってゆく後ろ姿。妹(だとはっきり分かる!)と娘を呼び寄せられず単身のアイヴァが以前には手の届かなかったバイクを乗りこなしているのと、冒頭には幼さゆえバイクを動かせないピオが家計を背負うや走り出すのとは、似ているようで違う。


切ないのはピオが作中一度だけ乗る自転車である。理由はあれど(扱いが容易、損害が少ないなど)彼があの時だけ自転車に跨るのは、まだまだ甘えたい母にもお金を渡さなきゃならなかった中、子どもとして誰かに扱ってほしい気持ちの表れに思われた。「地中海」の時から「彼」だけは彼を子どもとして見ていたでしょう。


「地中海」もそうだったけれど、お腹が空いた、あるいはそうであろうと推測される人々が、食事を前にしてもあまり食べない。それよりも会話をする。映画とはそういうものだが、それは人の選択を描いているように思われた。冒頭のクラブのシーンからラストシーンまで、ピオは常に選択を繰り返している。


今回たまたま選んだ四本の傾向からして、私にはこの映画が今回の映画祭の根っこのように感じられてしまった。実際「純粋な心」には、失職したイタリア男がロマ相手に薬を売る(が子どもが来て断ってしまう)なんて、(「地中海」から続く)「チャンブラにて」めいた要素があった。



イタリア映画祭の合間はやっぱりイリーカフェかなと、イトシア店にてマッキャートに量り売りのチョコレート。美味しく休憩した。