恐竜が教えてくれたこと


原作小説「ぼくとテスの秘密の七日間」は知らず。映画がよかったから読んでみたい。

オープニング、バカンス客が遊ぶ浜辺で一人、棺を埋めるかのような穴を掘って横たわる少年サム(ソンニ・ファンウッテレン)。「一人残された時の気持ち」を知るため、慣れるためにそうしている。私も子どもの頃は身を挺して何かに近付こうとしたものだ。
サムが書きつけるノートの文字に目頭が熱くなったのは単なる懐かしさからではない。それは自分で建てる道標だと(時には戻ってみてもいい!と)今なら分かるから。何かを知りたければ例えば誰かに聞いてみればいい。実際終盤、妻を亡くした老人に彼は質問してある答えを得る。しかし私がその早道を知っているのは大人だからであって、子どもは知らない。これは子どもが辿るある過程が丁寧に描かれている映画だった。

自転車の後ろに乗っているサムを「一人になりたいから」と置き去りにしたテス(ヨセフィーン・アレンセン)は「ママは女は謝りすぎって言うから」と謝らず、彼は「『私が悪かった』とか『悪気はなかった』とか言わないの?」と笑いながら問う。子どもは大人の使う言葉、あるいは使わない言葉を見聞きはするが自分のものにはしていない。
大人は経験で、その場を治めるのに効く言葉、あるいはそうした言葉に気持ちの方を沿わせる術を知っているが、子どもは知らない。映画を見ながらああ、こんな時にはこう言えばいいのにと何度も思ったものだけど、二人はそういう言葉は口にしない。だから幾度となく何となく食い違ったまま一日を終え、翌日また関係を再開する。この、自分で掴んでいく感じがいい。

「ヒューホは私のパパ」と告げて走り出したテスを追うサム、自転車の二人の向こうに初めて見える島の街並みに疑念から脱した彼の心の広がりがある。水際からあまりに遠いところで服を脱いで走って飛び込む海には自分達で物事を推し進めている歓喜がある。バカンスの終わったラストシーンで船から島を眺めた後に画面から消えるサムには、未来へ向かう姿が見えて素晴らしかった。