ガンパウダー・ミルクシェイク


サム(カレン・ギラン)とエミリー(クロエ・コールマン)、「二人ともが運転席」の車が邪魔する奴らを蹴散らして夜の街へ滑り出す作中唯一の空撮にステレオラブのFrench Disko…このカットの力みなぎる感は忘れ難い。「昔から、男達が『会社』でもって商売してる、ルールを勝手に作って、時に都合よく変えて、無敵だと思ってる」「でもそうじゃないんでしょ?」「そうじゃない」社会を下の世代に手渡しする話である。
加えて自身が奪われたものを下の世代からは取り上げないよう、復讐の欲望を抑えて暴力、端的に言えば殺人の連鎖を止める、例え会社そのものは潰せなくとも(思えば序盤の病院のエレベーターでの一幕から、サムはエミリーに殺しを止められていたんである)。それにしても男の殺し屋が娘に再会する時には離れていた時間に特に理由はないのに女の場合はいまだあるもんだなと思わせられる。

「ダイナーや病院における銃の持ち込み禁止」という「ジョン・ウィック」的設定は足元が覚束なくて好かないんだよなあと見ていたら、この映画では昔も今もそのルールは気分や金銭でもって破られている(しかし作中一番早くダイナーに銃を持ち込んでいるのは実はサムである。これはラスト近くのエミリーの役割に通じるものがある)。サムの母スカーレット(レナ・ヘディ)の最後の「作戦」は、おめーらの好き勝手なルールなんて知るかよという反撃だ。
銃を預かるのがウエイトレスや看護師兼受付などの女性であるのも印象的で、ローズが少なくとも15年同じ仕事をしているのには、アメリカにおけるウエイトレスは日本のそれと違うと聞いてはいても、今の私にはダイナーでの最後の場面がルール破りに加えて低賃金で働かされている女達の仇討ちにも見えた。登場時にローズに「下の方の銃」を指摘され「シュタージみたいに手強い」などとぼやいてみせるネイサン(ポール・ジアマッティ)のセリフにはそういう女を軽視しているのが透けて見える。

冒頭サムがエミリーの父親を撃つ銃声が思いのほか大きく響いて衝撃を受ける。その重みは彼女が言われるがままにこなしてきた「後始末」の幕引きとなり、続くボウリング場での作中初めての戦闘シーンは自身の意思の元に行われる。
これは一人の女の闘いが女達の闘いに広がるのと同時に、17歳で一人きりになった、子どもの領域の残っているサムが長い一日でそれを埋めて成長する話でもある。だから最後のダイナーでの戦闘は、子ども二人を逃がした大人達が責任持って行っているようにも見えた。エミリーに言われたありがとうに驚いていたサムは自分ではついぞそれを口にせず物語は終わったものだけど、初めてはどんな時か想像すると楽しくなる。