走れロム


映画が始まるや「当局の検閲を受けた修正版である」との文章。となれば最後に出る「デー(正規の宝くじ制度を利用した闇くじ)はベトナムの労働者を苦しめる社会問題であった」との過去形の一文は検閲対策であり、今なお大きな問題なのだろうと考えた。もしかしたら、現代が舞台で主人公が携帯電話を持っていないのは久々だなと思ったこの映画においてWi-Fiの表記がどうしても目立つあれが登場する、終わりのカットも。

ベトナム語の「労働者」がどんな意味を持つのか分からないけれど、冒頭のロムの「労働者には怖いものなんてない」とのナレーションが強烈だ。14歳にしてそんな、自分の属する階級に対する認識を持っているだなんて。後に火に照らされたどう見てもまだ子どものその顔に、その言葉を激しく思い出す。

常に斜めに撮られた画面以上に、パルクールさながらに窓から出入りし壁を蹴って回転し跳び回る少年「フック」の動きに彼らの足元の不安定さ、地元との繋がりの無さを思う。邦題の「走れ」とは終盤のフックとロムの長い長いくだりにそう付けたのかなと思うけれど、親を探すために金を貯めているロムが最初から最後まで走り回っているのは、地に足を付けたいという気持ちの表れのようにも感じられた。

ベトナム映画といえば川が印象的なものだけど、ここで見られるのはオープニングクレジットで名前の出る制作者のトラン・アン・ユンの作品における水辺のようなものではなく、ゴミで作った筏でゴミの溢れる川をゆく様子。「アパート」の住民達が、「お上」からは程遠い、自分らに隣接した立場の賭け屋の女の暮らす川上の小屋へ押しかけるさま、脇の水たまりで取っ組み合う少年二人、あのくだりにはどこへも出て行けないからゆえの力が爆発している。そう思うとこの映画は多くのベトナム人がお金のためにやって来ている日本とも全然繋がっている。