人間機械



「起きろ、カメラが来たぞ」が(字幕の付く)第一声であることからしても、ここに存在しているのは機械ではないと訴えている映像なのだが、それでもやはり、特に序盤は人が機械のように見えたものだ。映し出されている工程の目的が分からないからというのもある。「何をしている」のか知っていれば、いわばその過不足をチェックすることで、機械と人間の行為の差も感知できるかもしれないけれど。


容器の中を掻き回す棒のアップにこんな仕事もあるのかと思っていたらカメラが引くとそれは(「本物の」)機械で、カットが変わるととある労働者が「あの仕事はコンピュータ制御されているが(自分の担当している)この仕事は体力と知恵が必要だ」と語る。フィクションでは「新人」が馴染んで行く過程を見せることが多いがここにはそれがなく、機械にもその過程はないから違いが分からないのだと思っていたら脇から操作の仕方を指導する声が聞こえる。誘導がうまく働いている映画である。


後ろを振り返って(殺されることをも!)気にしながら「労働者は狼になれるのに羊のまま」と話す白いシャツの男の「一ヶ月働いて給料をもらう」のが労働者の最低ライン、すなわちそれじゃ人間とは言えない、という言葉には撃たれる。ある労働者の「俺には通用門から働く場所までだけ、社長の名前も顔も知らない」を受けて挿入される社長の「労働者は腹を空かせていれば献身的だが豊かになるとタバコや酒を買い妻子を捨て、会社なんて知ったことか、になる(から賃金は上げない)」には、昨今話題の公立学校のエアコン問題を思い出した。予算の問題じゃなく権力者の考え如何なのだと。


最後に再度出てくる労働者の「俺が報われる時があるとしたら世界の皆が死ぬ時だ、その時には金持ちだって何も持てない」には、「子どもが教えてくれたこと」の「死んだら病気じゃなくなる」を思い出した。最後の「全ての繊維業界の労働者に捧げる」(だっけ?)はよく分からなかった。終盤の「ここへ何をしに来たのか言ってくれ」への答えだろうか。