フラットライナーズ



1990年に公開された同名映画のリメイク。ニールス・アルデン・オプレヴって、「ミレニアム」一作目や「デッドマン・ダウン」の監督だと気付いたので見てみた。「デッドマン・ダウン」でのコリン・ファレル&同じ位の時を経てのリメイク繋がりで2011年の、これもよかった「フライトナイト」も想像しつつ。予告から想像していたのと全然違う話で、ちょっと古いなと思う部分もあったけれど、面白かった。


「flatline」とは心電図の線が平らになること。作中それに重なるのが、ディエゴ・ルナ演じるレイが命を救うために冒頭と終盤に走り抜ける、「生」と「死」を繋ぐ、夜には緑の光に照らされる、病院の渡り廊下である。


エレン・ペイジ演じるコートニーを始めとする医学生らの「仲間」感には、オリジナルの主役だったキーファー・サザーランドもそうだったブラッドパック華やかりし頃、いやもう少し後かな、それが落ち着いた頃の雰囲気がある。今ならこの類の「仲間」はもっと若い世代か、世代が入り混じっているものだ。でも医学生ならありかなと思う。あの年齢で人命を握ってるがゆえの「仲間」感。無神論者達が、神がありうる世界で体験する話という枠の中で、出来うる限り彼らの人となりが描かれていたと思う。そこがよかった。


キリスト教の素養がない私にとって、これは、ジェイミー(ジェームス・ノートン)いわくの「guilty conscious」につき、告白しても自死してもだめ、行動あるのみという話であった。(「臨死体験」を切っ掛けに)彼らがあのような体験をするのは、「被害者に憎まれているのではないか」という意識ゆえに思われた。相手からすれば、被害を受けた上にあんな形相で捉えられてるじゃたまったもんじゃない(笑)意識の中の存在と「実際のその人」とのギャップを埋めることの大切さを思った(尤も相手を亡くした人には叶わないが。だからあの二人は苦労する)


そうした意識を持たないレイが臨死体験をするとどうなるのかと想像してしまうが、彼だけはそれをしない。面白いのは仲間の中で彼だけが「富」を有していない(=「持たない」)点である。彼のみ自宅のシーンがないのも意味ありげだ。そんなところから、ふと彼をイエスとして見ると面白いなと考えた。皆の「告白」を一人立って聞く姿、「ぼくも同罪だ」なんてセリフ、それからまあ、あの長髪に髭ね(笑)


オリジナルは何せ作られたのが昔だから、ジュリア・ロバーツ演じる「才色兼備」の女が一人という「紅一点もの」だが、本作では複数居ることで女が「普通」に描かれており見易い(冒頭エレン・ペイジが話す相手が患者、同僚と続く時点でベクデル・テストは勿論パスする)。「セックスしよう!」「そうしよう!」となった時以外は、相手を性的に見ない(その気を表さない)のもまっとうでよかった。