ローサは密告された



オープニングはスーパーのレジで大量の菓子を袋詰めする親子の姿。お釣りが足りないから代わりにと飴を渡され文句を言うと他の客に文句を返されるのに、国民性としては「小銭」をそう気にしないがこのローサ(ジャクリン・ホセ)は気にするのかなと思う。以降、彼女と息子が「地元」に帰るまでちょっとした揉め事が続くという描写が、実に、血の繋がりやご近所さんしかセーフティネットがない(後者はすぐにひっくり返るが)ということを表しており胸が痛んだ。


前半の舞台は、ローサが「なぜこっちに連れて行くのか」と訝る、警官が食い物を連れ込む場所。一人の警官の妻が「なんで帰ってこないの」と訪ねてくる場面があるが、彼らにとっては居心地がいいのだろうと思われる。上下関係があって、食い散らかして歌まで歌って、使い走りのおそらく宿無しの少年を置いて、獲物をいたぶって。そのうち、連れてこられた食い物の方も仕方なく順応していくのが奇妙にも面白い。ローサの夫(フリオ・ディアス/この彼の、ローサにくっついている大きな犬のような言動が何とも言えずいい)は警官の夜食をつまみ、ローサの方は彼らが売人を半殺しにした際の血の掃除を何でもない顔でこなす。


後半は、上の子ども三人がそれぞれのやり方で袖の下のための金策に回る様子が描かれる。この映画は「そういうことだったのか」というやり方を何度も使ってくるが、このくだりでその効果が最も発揮される(ただしあの「ベッドシーン」は要らないと思う)。母親に絶対に行くなと言われた親戚のところを娘が訪ねる場面で、彼女が学校へ通っている背景が分かる。「あんたたち、うちの子が学校に行かず働いてるのを馬鹿にしてたのに、お金をせびるの?」なんてセリフから、ローサが小金をどうしても稼ぎたい理由の一つは娘を学校にやるためだと分かる。


映像は「ドキュメンタリータッチ」ながら、私にはとても情緒的な映画に思われた、ローサの視点にのみ大いに情緒を感じたと言うべきか。連行される彼女が見る町の風景、ある家族の様子、ラストシーン近くに彼女が見る別の家族のとあるひととき、いずれも強くこちらにものを言ってくる。加えて雨に降られるローサが冒頭だけで二度もシャツを着替えるのとか、二男が出掛けるのに「乾いてる服はある?」と言うとローサが「(壁に並んだハンガーにつき)それは二日前から干してある」と答えるのとか、湿気による不快感もよく伝わってきて、車やバスの窓が曇っているだけで気分が悪くなる私にはしんどかった。