エリザのために



冒頭、年老いた母親が「もらってきた薬の説明書が一枚抜けている」と言うと、主人公ロメオ(アドリアン・ティティエニ)は「医者の僕がいるんだから、そんなもの読まなくてもいい」と返す。これはまず、周りの女達をよかれと思い管理している男の話である(でもって、娘エリザ(マリア・ドラグシ)の試験合格のために彼が奔走する先は男ばかりである)。「娘のことだけは何でも話し合うと決めたじゃないか」と、私が娘だったら死にたくなる台所での親二人の時間に、妻のマグダ(リア・ブグナル)はタバコをふかし「分からない」と言う。


そこにはロメオの、娘に対する「国に期待して夫婦で帰国したがだめだった」「自分達がどれだけ苦労してきたか分かるか」「外国に出すために育ててきたんだ」との思いもある。彼いわくの「こんな町」にはやたらと野良犬がおり、エリザを乗せての運転中に飛び出してきた一匹に当ててしまったロメオは、後日その死体を草むらに確認し号泣する。私には意味がよく分からなかったけれど、もう一つよく分からなかった、なぜ彼一人だけ気持ちの腐り方が違うのか、ということと併せれば謎が解けるのだろうか。


オープニング、団地らしき敷地内で穴が掘られているショットの後に、室内に石が投げ込まれる。ここは一階なのだと思う。面白いことに、その窓際にソファを置いて寝ているロメオが向かう「不倫相手」のサンドラ(マリナ・マノビッチ)の住まいも母親の住まいも、全て一階である。低層の建物ばかりの町なのかなとも思うが、「一階は物騒だから」とのセリフからそうでもないのだと分かる。一方で、ロメオが訪ねる先の副市長や警察署長は、少々高い、眺めのいい(と後者などは自分で言う)部屋に陣取っている。


ラストシーンには実に奇妙な、白昼夢のような感じを受けた。サンドラの子を教室に送ったロメオが屋外に出ると、卒業式に出席中のエリザが「私だけ試験の時間を延長してもらった、涙がとまらなくなって」と言う。結局のところ、そうした「温情」があったのだ。それならばこの数日は何だったのか?彼の「見ていたもの」は何だったのか、この「夢」の方が「現実」なのではないか、そんなふうに考えた。