僕と世界の方程式



私には、世界は人の苦しみで出来ているパズルのようだ、というお話に思われた。同時に、ふと誰かと会いたくなる映画だった。


(以下「ネタバレ」あり)


公開中の「ザ・コンサルタント」と同じく、こちらはタイトルの前だけど、映画は両親が「自閉症」の、「パズル」が好きな男の子の傍らで専門家の話を聞いているのに始まる。しかし隣の妻の手を握り、幼いネイサンとの別れ際に「分かり合えなくても愛することをやめるな」と口にした父親マイケル(マーティン・マッキャン)と、その後もずっと息子の傍に居続ける、居続けられる母親ジュリー(サリー・ホーキンス)を持った彼のゆく道は、会計士の彼とは大きく違う。尤も「Don't be afraid」と言われても、「父親がいなくなったことが納得できない、もし出来るとしたら、父親と一緒ならば」なんて矛盾の中では、母親の「Don't worry」を受け入れるのには時間がかかる。


予告を何度か見たのに気付けなかった。ネイサン(エイサ・バターフィールド)がいじるトーストは、たまたまあの形になったわけではなく、母親ジュリーがおそらく毎日違わぬ時刻に、あの形にして出しているのだと。彼女の毎日は、私からしたら気が遠くなるほど孤独に思われて(本人は「たまに」と言うけれど)切なくなった。ネイサンや教師のマーティン(レイフ・スポール)が「人と違うという意識、そのために生きづらいという意識」を持っているという意味で病気であるなら、ジュリーの方は、普通の人間が普通でない状況にあるという意味でやはり「普通」ではない。中国チームの唯一の女子で、叔父にお茶を注ぐよう促されるチャン・メイも、やはり「普通」とは言い難い。それならば彼も、彼女も…皆そうなのだろうか。


冒頭、9歳のネイサンが乗る父親マイケルの車に、そういえば私は子どもの頃、ウインカーは車が道を教えてくれている音だと思っいてたものだ、とふと思い出す…程リアルさを感じ、乗っている彼になった気持ちでいたら、これは車、ひいては乗り物が存在感を放っている映画でもあった。成長したネイサンと母親ジュリーとの車内にはとんでもない息苦しさがある。えびボールを買ってきてもらってのやりとりの後の彼の顔は、「思っていることを言ったらまた悲しそうに怒鳴られた」という戸惑いで満ちる(だから冒頭のナレーションで「思っていることはあるけど話すのが怖い」と言う)。しかし彼は母親を「望遠鏡」!で見ている、それはジュリーの方が、カードを見なければ素数が分からないのに、これから数学を学ぼうとするのにも似ている。


やがてネイサンは「初めての外泊」のために同じ年頃の大勢とバスに乗り、飛行機に乗り、「変人や数学好きは普通」という世界があると知る。そのうち、その中でも自分は「違う」と知る。「同じ『自閉症』」でも自分とは違う者がいると知る。それが繰り返される。台湾からイギリスに帰り、チャン・メイと向かい合わせで列車の窓から虹を見る時の、あのくつろいだ顔はそれまでに無かったものだ。この年の国際数学オリンピックの会場はケンブリッジ大学、ネイサンの住む町から遠くとも自国の中である。「外」に出てから母親のところに戻ってくるのは、まるで青い鳥の物語のようだと思った。


サリー・ホーキンスは、いつものような家に住み(思えばあの、同じような住宅が並んだ遠景も何かを示唆しているようだ)、たまにやるような役をやっているんだけど、車を運転した先で!エディ・マーサン接触するのには、一瞬「ハッピー・ゴー・ラッキー」の悪夢が蘇ってしまった(笑・映画がつまらないという意味でなく、その中で起こることが悪夢だってこと)