ニコラス・ウィントンと669人の子どもたち



第二次世界大戦直前、ユダヤ人の子ども達をナチス・ドイツによる迫害から救うための「キンダートランスポート」を行ったニコラス・ウィントンの後半生を元にしたドキュメンタリー。


私にとっては謎解きめいた映画でもあった。「人は物語を観賞するだけでなく、物語の主人公になれる」という文章で始まり、終わる。当初はそのナレーションに被る、「現在」のニコラス・ウィントンが雑踏を歩く姿に、「映画の観客」に向けての第一声としては面白いじゃないか、さてどんな物語だろう、と思いながら見始めるのが、最後には、ああそういう意味なのか、と作り手の意図が分かる。エンドクレジットに流れるのは各国の子ども達による「ニッキーさんに捧げる歌」であり、こりゃまたえらく遠いところに来たなと思わせられるけど、そういう映画なのだ。


誰だったかが彼を評して「商才があり、創造的で、チャレンジ精神もあった」。何の後ろ盾もないキンダートランスポートがそれゆえ実行できたと分かるくだりが面白い。特に「商才」の点が面白く、とにかく迅速さが第一なので「商品を扱っているようだった」と謝罪めいた言い方をするのが印象的。例えば子ども達の写真を分類して6枚ずつカードに貼っておき、里親希望者の要望を聞いたらそれに沿う一枚を渡して6人の中から選んでもらう、そうすると大抵話がまとまる。彼はこういうことを「商売のようだった」と語るが、こんなやり方を考えてくれたから、子ども達は助かったんである。


子ども達を乗せた列車がドイツを抜けてオランダに入った時の思い出を「とても嬉しかった、まるで別世界だった、陽が差してきた」「ヒトラーゲッペルス、くそくらえと皆で窓から叫んだ」と語るのを聞いて、これが私が結局のところ体では分からない「大陸」感なんだなあと思う。尤も英国は「島」だから(開戦時のチャーチルの「どんな犠牲を払ってでもこの島を守る」が印象的)船にも乗るわけで、この時に「どこからともなく(おそらく誰かが歌い始めたのだろう)チェコ国歌が流れてきた」というのには、ふと「消えた声が、その名を呼ぶ」を思い出した(こちらは事情の違う、「今」の話だけども)


「首から札を提げてかばんに腰掛けて待っていた」子が今になって語る「彼女は言ったのです、歓迎するわ、これこそ私たちが一番聞きたい言葉でした」なんてのには、映画「パディントン」でのくま目線でのサリー・ホーキンスとの出会いの場面をまた見たくなった。最近の映画繋がりでは、この映画の、作りじゃなく描かれている内容は「この世界の片隅に」にも近い。親を恋しがりながらもハロッズに夢中になったり、男の子の気を必死で引いたり、防空壕に行くのが「楽しみになった」り。そうかと思えば女の子を誘った映画館でヒトラーのニュース映画が流れる。


オランダの駅に到着し、生まれて初めて食べた白パンについて「水に浸してあるのかと思った」「今でも好きじゃない」「(苦笑)」なんて語るのが楽しく、レベルが違いすぎるけど、私にとってのコーラかなと思った(笑・小学生の時に初めて飲んで、何だこの薬みたいな味!と思って30年、今でも嫌い)