オマールの壁




「(弁護士に向かって)何か打てる手は?」
「無いわ、占領が続く限り」


(以下、少々「ネタバレ」しています)


この映画の「どんでん返し」には久々にやられた。詳しくは書かないけど、オマール(アダム・バクリ)が「皆が嘘を信じていたんだ」に続けて「君も、それから俺も」…とは口に出さない場面で判明する、ある事について。びっくりしたわけじゃなく、そういう世界を見ていた筈なのにその可能性に気付かなかった自分の馬鹿さ加減にショックを受けた。


オープニングはあまりに美しい、しかしうつろにも見える顔のアップ。青年は、人通りが途切れるのを見計らい、自分の背丈の何倍もの高さの壁を一気に上る。終盤にも同じことが繰り返されるが、彼の体は「重く」なっており、換言すれば「若さ」を失っており、もう駆け上れない。すると壁に沿って長々と歩いて来た老人が、「すべてうまくいくさ」と手でもって押し上げてくれる。この場面には「希望」があるが、青年が老人の側になってはいけない(「それ」が続いてはいけない)と思う。


冒頭はオマールの「日常」が描かれる。壁の向こうで親友二人とお茶を飲み、戦闘訓練をし、音楽を奏で、ジョークを交わし、夜の街を歩く。こちらに戻り、擦り切れて怪我をした手でパン屋として働き、他愛ないお喋りをする家族と食卓を囲み、猫と遊ぶ。そしてナディア(リーム・リューバニ)に手紙を書く。やりとりされるその内容は分からない(文字も映らない)が、彼女の「素敵だった」なんて言葉から想像する。始めソーサーに添えていたのを、もしかしたら多分、初めて手から手へ渡した時の喜びも伝わってきた。


「日常」の段階から迫力のあったアクションシーンが、オマールが深みにはまるにつれ、より凄くなっていく。路地や住宅街、市場などの毎回少しずつ異なる逃走の舞台や、親友同士がぶつかり合う工事現場や森の中の声の響き具合などバリエーションも豊かだ。合間に暗闇の中で行われる拷問シーン。彼の若さと美しさを活かした、「舞台」こそ違うけれども「ハリウッド映画」等でよく見るような場面の数々がふと、娯楽映画で見慣れたこんなことが、ここでは普通の若者の身に起こり得るんだぞ、というメッセージにも思われた。


冒頭の「マーロン・ブランド」や「ブラッド・ピット」などから、「辺りから出たことのない」ナディアが「映画」に憧れていると分かる。そんな彼女が、自分は何もしていないのに…せいぜい家や学校の「壁」を越えただけなのに、「あらすじ」で語るならそれこそその手の「映画」ばりの「愛」や「裏切り」なんてものに巻き込まれてしまうのが哀しい。最後に自身で言うように、せめて「復学」がかなえばいい。オマールが彼女に対し何かというと「今は勉強するんだ」「勉強は続けてるのか」と口にするのが印象的で、彼はきっと、いい恋人だったに違いないと思う。