愛しき人生のつくりかた



何てことない「人情コメディ」だけど、これ好きだなあ。作中の医師が言う通り「身体は日々衰えていく」、それならば、あとしばらく生きられそうな人々は、まるで映画みたいな!「お約束」の温かさにまみれたっていいじゃないか。終盤の校門前の場面には涙がこぼれてしまった。


冒頭、面接を終えたロマン(マチュー・スピノジ)が「ホテル・アルシナ」の前の階段を下りる時、その路地にひどく魅力を感じた。街角のまた別の階段からは部屋の中の祖母マドレーヌ(アニー・コルディ)の姿が見える。映画には「段差」が必要なのだと思う。その室内は、テレビこそ薄型だけど年季の入った空の鳥籠、使い込まれたファブリック、数々の写真。後に施設に移った際にも、ぐるりと回るカメラは彼女が部屋中に置いた写真を映し出す。対して映画の最後に走ってくる「彼女」は、ものを貼ることの出来ない部屋に住んでいると言う。彼女も年を経たら、何かを貼りたいと思うようになるんだろうか、なんて考えた。


パリに行きたい、住みたいと思ったことは無いけれど、この映画のパリには惹かれた。それは地べたのパリだから。ロマンの同居人が女の子といるのだってカフェじゃない、スタバなんだから。加えて、映画自体が「パリ」だけにこだわっていないから。マドレーヌは家族と過ごした部屋に戻れないとなれば他に思い入れのある土地を目指し、エンドクレジットではそのノルマンディーの海岸が延々と映る。だから余計、パリが素敵に感じられる。車で夜のパリをゆく一幕なんて、とても素敵だしね。


映画の前半に父のミシェル(ミシェル・ブラン)と息子のロマン、ミシェルとその兄達が互いに挨拶のキスをする場面が多いのは、「ごたごた」を切っ掛けにしばらくぶりに会うようになったということか。片手にゴミ袋、片手に名刺を持ち立ち尽くすミシェルと教会でお棺越しに女性と見つめ合う息子のロマン、話の中心は主にこの二人。「空気の読めない」父を息子は笑いながら見守っているが、似ているところも多い。考え事があると食べ物を選べない。「学校の先生」に惹かれる。ミシェルがテラスにいる妻のナタリーのところへやって来て、隅のベンチに座るのがいい。隣に並ぶでもなく、立ったままでもなく、あれが彼なんだなあと思う。


思いがけず、ちょっとした「学校もの」でもあった。ナタリーは教師であり、マドレーヌは「第二次世界大戦が始まって小学校をやめざるを得なかった」。私の祖母はその頃には学校を出てたかな、と思っていたら、やはり5、6歳違いの設定。この映画はこんなふうに、布に例えればぴんとじゃなくゆったり張られている、その上で勝手に体を動かせる感じがいい。子ども達がマドレーヌに色々質問する場面の生々しさに、脚本無しで撮ったという「きみはいい子」の宿題の場面を思い出し、映画監督はその誘惑に抗えないのかと考えた(笑)でも学校で一番素晴らしいのは授業風景だから、それが魅力的に映っていればいい。