エール!



オープニングはベリエ一家の朝。弟がおしっこをしているトイレのドアをおそらくいつものように閉めたポーラ(ルアンヌ・エメラ)が下りていくと、キッチンのまあうるさいこと。フライパンや食器のたてる音が正直言って耳障り。でもこれが彼女が体験している世界なんだと新鮮で、幕が切って落とされたようで、予告からは予想していなかった類の面白さで、わくわくする。


ポーラがあんなにも歌えるわけは、生まれ持った才能なのか、冒頭の自転車での通学シーンで分かるように歌が好きだからなのか、あるいはもしかして、冒頭のような日常生活が何らかの影響を及ぼしていたのかもと思う。トマソン先生(エリック・エルモスニーノ)に注意されるたび、音階が高くなるごとに気持ちが上がっていく描写が楽しい。一つの頂点に達し驚いて飛び出してしまうなんて、どんな「感じ」だろうと想像する。


トマソンが揶揄したように言う「世界は君を中心に回っていない」…この映画はそのことを少しずつ明かしていく。パパが牛にオバマと名付けたわけ、ママが華美な格好をするわけ(ラストシーンでは髪留だけ残して作業服姿である)、お坊ちゃんの家庭の事情。大人である先生は、世界が自分中心でないからこそ、受験をあきらめた彼女に「それは本当の自分か」と問う。ただし、先生は「君は考えすぎだ、バカになれ」とも言うけれど、彼女は彼女、フランス語の意味を知らなくても歌えた歌手とは違うのだった。


発表会での「疑似体験」演出も面白いけど、私はその晩、パパが娘の喉に手をあてて歌を聴く場面に一番ぐっときた。そのとき分かった、この映画は家族の物語で、彼女の歌声は家族の中でこそ生まれたものなのだと。そして見ているうちに更に分かった、同時にそれは彼女個人のものでもあって、携えて飛ぶ時は一人なのだと。


「くそ野郎」「ちんこをひきちぎってやる」なんて手話?が見られる(笑)のに加え、冒頭のおしっこに始まり「受け入れやすい」下ネタでがんがん押してくる。ふと、それには必然性があるのかもしれないなどと思った。つまり、下ネタの扱いにこそ「個性」が出るという考えもあるんじゃないかって。