犬どろぼう完全計画



「韓国初の欧米小説の映画化」なんだそう、原作は未読。一度だけ遭遇した予告編に惹かれたのと、「家」について心配する子どもの話というのが、同じく児童書を原作にした、大好きな「ラモーナのおきて」にちょこっと似てるなと思い観賞。楽しかった。
オープニング、しかめつらばかりの少女の眉間の皺…ではなく小さなこぶと、瀟洒なレストランで面接を受けている女性のピンク色に塗った唇のゆがみが何だかいいなあと思ったら、この二人は母子なのだった。ちなみにこの場面で母親のカン・ヘジョンが履いているスカートがとても素敵だった、金のパンプスとは違う理由で「残した」んだろう。


冒頭、ジソ(イ・レ)が「家が無い」ことを隠しているも弟のせいでばれてしまい友達のチェランの前で泣きじゃくるシーンに、前日見た「インサイド・ヘッド」の「カナシミ」の役割を思い出してしまった。悲しみをオモテに出す、他者に表すことも大切だと。実際二人はこれにより一歩前進する。彼女達の友情描写がなかなかよくて、犬を捕えたピンクのたもが敗れて尻もちをつくチェランに「大丈夫?」とは、まさに落語の「厩火事」(「麹町の猿」じゃないというわけ・笑)
インサイド〜」で私が泣いてしまった場面に出てくる「ロケット」そっくりのリヤカーも登場(同じ所に箒が!)国旗がはためいている意味がよく分からなかった、原作じゃどういう外見なんだろう。この車で街を走り抜ける場面、子ども映画じゃたまにあることだけど、本当に楽しくて笑ってると思われる弟の表情が嬉しい。


「スタッフの方が客より多いくらいなんだから」と勤務中のレストランの化粧室で息子の全身を洗い、「誰も住んでないんだから」と空き家に家族で暮らそうとするママの、ケン・ローチ的精神とでも言う生き方が好き(笑)ここ数年に見た映画で一番好きだった「母親」は「パパの木」のシャルロット・ゲンズブールだけど、それを思い出した。いずれも「自然」な子どもっぽさを備えている。
大人にもそれぞれの事情がある。「俗物」のように描かれているチェソンのママだって、警察にぐじぐじ逆らうのは、子どもには価値の分からないお金を大事にしているのかなと思う。そして「去る者は追わない」資産家のマダム(キム・ヘジャ)の夕暮れ。少女とマダムの道が初めて交わる場面には涙がこぼれた(それでも最後、少女は「大人は皆一緒」と言うのだ)一方、それらに対して犬が「ただの犬」なのがいい、犬ってのはあれで十分なんだよ(笑)


オープニングの「イソップ物語」の「うさぎとかえる」のアニメーションが何だか「アジア」ぽいなあ、平面的だからかなあと思ったいたら、それは学校の先生が黒板に描いた絵が元(という設定)なのだった。
ジソが「500」に囚われて道々その数字が飛び出してくる映像や、ジソとチェランの「完全計画」についてのノートや「暗号」でのやりとりなどの現実離れした美術も楽しい。あれだけ色々な人と関わっていながら、最後の最後の彼女の空想が大海原に「ひとりきり」というのもいいなと思う。