誘拐の掟



これはよかった、劇場から去り難い類の映画。犬が自分の名前に反応するカットの妙。少年が新しいブーツを履いて上着のジッパーを上げる場面に泣いた。程良く苦く、程良く甘い。



「探偵になれる条件は何?」
「膀胱が丈夫なことと…
 (略)
 幸運に恵まれることかな」


オープニングはリーアム・ニーソン演じる「マット・スカダー」が同僚らしき男性に酒をやめるよう言われているところ。続く馴染みの店にて、異様にまぶしい戸外と椅子の背を隔てて暗いこちらというのは「アル中」であるスカダーの心の表れだろうか?
その後の銃撃戦が治まると、難なく男を仕留め階段を降り掛けるリーアムの姿を下方に捉えた上方の空にクレジットが出始める。可笑しいくらい「70年代の映画」の匂いがして、かっこよくて、心が叫んでしまった。


ケニーを演じるダン・スティーヴンスは髪を黒く染め、別人のように痩せ細ってみせる。スカダーを豪奢な自宅に迎えた彼が妻について語る顔にはっとした。ダン・スティーヴンス自身にはまだそれほどの「何か」は無いと私は思ってるんだけど、この場面にはあったから。「弟」のケニー、「ダメ男」役が続くボイド・ホルブルック演じる「兄」のピーターを始め、あらゆる人物がわずかな描写でスクリーンに焼き付けられている。
ニューヨークの撮り方も素晴らしかった。場面ごとに街を切り取って見せる大きさが丁度いい。同じ席しか映らないダイナーを起点に私立探偵のスカダーが歩きまわるにつれ、「関係者」皆が「家族」のように思われてくるあの感じ、あれが味わえる映画って面白い。また作中初めてスカダーの住まいが見られるのが終盤になってから、TJ(ブライアン・ブラッドリー)の視点というのもよかった。


「水色のバンに女がさらわれる」場面が都合3回挿入されるんだけど、一度目、本当に何てことない画なのに怖いのは、私がさらわれそうになったことがあるからなのか、そうでなくても怖いのかというのは知りたいところ。二度目で少し離れたところからの様子を見ると余計に怖くなる。
新たな犠牲者が生まれる際にドノヴァンの曲の音量が上がり「犯人」視点になるのには嫌悪感ばかりが先立ったけど、振り返って、少女はもうスカダーと繋がっていて(だって皆「家族」だから)、あの時に二人もスカダーと繋がってしまったのだと思うことにした。映画の中間で形勢がくるっと「反転」する地点。


映画が始まると「New York City 1991」、時が下ってスカダーは「あれから8年、酒を飲んでない」と言うから1999年。原作シリーズを読んだことは無いけど、ハル・アシュビー監督版を踏まえると、本作は原作から時代設定を変えているんだろう。
この「1999年」という設定が絶妙で、スカダーとTJが出会うのが「図書館」なら、墓地の管理人が「二人組」と知り合うのは「ビデオ店の地下」。新聞のフィルムデータにあたるスカダーがインターネットについて「どうせもうすぐダメになる」と言えばTJが「ヤフーの使い方も知らないんだろ」。「二千年問題」を世間が騒ぐ中、二人のやりとりが、得体の知れない恐怖があろうと大丈夫、何とかなるとこちらに語りかけてくる。あまりに穏やかなラストシーンには、「今」の二人はどうしているだろう、なんて感傷的だけど快い想像をしてしまった。