ザ・ノンフィクション 円丈VS老い


フジテレビのドキュメンタリー番組が円丈を一年間追い掛けてまとめたもの。とても面白かった。落語会で撮影隊に何度か遭遇したよ(笑)
映画で言うならアヴァンタイトルで円丈が口にする「新作落語家っていうのは、ネタを作り続けるから新作落語家なんだよ」「新作落語には固有名詞がいっぱい出てくるんだよ、とっても難しいんだよ、でもやりたいわけだよ」というのが、もう全て。尤もそれは、というかこの番組の内容は、ファンにとっては、高座を見ていれば伝わってくることの「再確認」であり、だからこそしみじみ面白かった。


始まってすぐ、地名ばかりは馴染みの自宅に飾られている、おそらく母親と幼少時の円丈の写真、お母さんが円丈にそっくりで可笑しい。白鳥さんが「師匠のおじいちゃんの写真かと思ってました」とネタにする円生の写真らしきものも(笑)お弟子さんも知った顔ばかりだし、稽古シーンが見られるのも嬉しい(しかも「ガマの油」!といっても私が好きな本人のはもう違うバージョンになってるのかな?)
出てくるもの全て「聞いてはいるけど見たことのない」事ばかりで、それがまず楽しい。私にとっては聞いたこともないものもあり、それは若い頃の円丈の高座なんだけど、あれが「今」じゃないからというのもあるけど、あれを見ても、私は今の円丈の方が全然好きだ。


テーマがテーマなだけに、高座シーンは「失敗」した(この場合、固有名詞を忘れて言葉につまった)箇所ばかり。寄席と落語会とじゃ違うけど、番組でも分かる通り、会の場合は客席はファンばかりだから、場内の雰囲気は常にあったかい。カンペについては「扇子、手拭い、カンペ」感覚だし、つまっても「今日も円丈を見た」と思うってなもの。そのことについて本人はどう考えているのかと前々から思ってたんだけど、番組ではシンプルに「僕はコストを払っている」「つまらなかったら来なくなる」と言っていた。確かにそうだと思う。
それにしても、番組最後の浅草演芸ホールタブレットを取り入れての初めての高座、私も立ち会いたかった!そのうち見られるかな、それとも何か違うやり方になってるかな(笑)


見ながらふと、円丈の枕での、円生は一日中、タクシーの中でも稽古していたという話を思い出した。対して僕は稽古は嫌いと言っていたものだ。
私としては、ここ数年で円丈の元に来たお弟子さん達の考えを知りたかったけど(勿論前座の身分でそんなこと、内容がどうであれ口にできないだろうけど)弟子のコメントは白鳥さんのものだけ。上方の創作落語家の言葉を引いたのは、番組に必要と考えてのことだろうか?円丈が言う意味での「新作落語家」は少なくとも東京では円丈が最初で、「年を取る」という前例がない。白鳥さんはどうなるのかな、世代は違うけど私も一緒に年をとってくわけだけども、などと思う。「一般的」に名が知られているからか何度か登場する昇太や、あるいは例えば喬太郎などを考えても、やはり円丈の「血を引いている」白鳥さんとは違う気がする。


面白かったのは、今後の意気込みを問われて「どうしたら普通に続けていけるか」と答えていたこと。円丈自身にとって、やっていること全ては「普通」であるためなのだ。だからぼろぼろだった会の後日、番組側が「自信のあるネタではなく、あえて新しいものを演るというのは…」と言うと「『あえて』じゃないんだよ!」と声を荒げる。それに続くのが冒頭の「新作落語家っていうのは…」の言葉。
私は円丈に比べたら一億分の一くらいしか頑張ってないけど、自分の「普通」を「あえて」と言われた時に強く否定したい気持ちはよく分かる。


自宅の場面に必ず愛犬ろっきぃとミッキーのカットが入るのも嬉しかった(超可愛い!)円丈と言えば犬だから。でもってふと思ったんだけど、内弟子じゃなくても、あんなに「序列」がはっきり目に見える家ってなかなかなさそうだから、犬にとっては噺家さんの家とそうじゃない家って違うんじゃないかな(笑)