ナイト ミュージアム エジプト王の秘密



これは最高!「三作目にして完結編」映画としても最上の類。
それにしても、大好きなこのシリーズの終わりに聴けるのが、私が映画に目覚めたあの曲だなんて(親世代向け?)ここ数年きてるよね。本作のキーとなるセリフも掛かってるんだから憎い。


(以下「ネタばれ」あり)


本作のラストシーンは、一作目と同じく自然史博物館での「パーティ」。私がこの映画の中でずっと暮らしたいとまで思うのは、あの場が「何でもアリ(それこそ「human」でも「thing」でも・笑)」で、尚且つ、外に「因」があろうとも、いやそれゆえに「永遠」だから。銘々が相も変わらず同じ遊びをしている、すなわち「変化の無いこと」が否定的に描かれないのもいい。
そしてこのシリーズが面白いのは、主人公のラリー(ベン・スティラー)がそこに馴染み切ってはいないこと。「警備員」である彼は、パーティを見守りはしても加わりはしない。パーティの最中には一作目同様「博物館を外から見たカット」が挿入されるが、当初は「一抹の寂しさ」の演出とも受け取れたのが、本作にして、このカットはラリーの視点となる。彼が「学位を取って教師になった」のもむべなるかな、教師という仕事には「通り過ぎる」存在であることの気楽さと寂しさとがつきものだろうから。「外」に出る勇気と自負を持った人間なのだ。


私が面白いと思う映画が備えている条件のうち影響力の大きなものに、「『くだらない…』と思う瞬間がある」「作り手のおそらく意図していない部分に引っ掛かり色々考えるはめになる」の二つがあり、この映画はどちらも見事に備えていた。
ベンの好み、持ち味である「くだらなさ」(レベル・ウィルソン演じる警備員がハンマーをこんこんやってみせるあの速度にそれが表れてるような気がした・笑)が全篇息づく中でも、特に「くだらない」のはやはりベン絡みの場面なので、このシリーズは彼のスター映画でもあるんだと思う。尤もチンパンジー、じゃなくオマキザルのデクスを肩に乗せたベンじゃ、雑誌の表紙は飾れないけどね(笑)
初めて「命」を得た大英博物館の展示物達の言動に対するテディ(ロビン・ウィリアムズ)の「我々も始めはそうだった」との言葉には、先日「イミテーション・ゲーム」を見たばかりだから(感想)、アラン・チューリングの「人工知能は学習を重ねて大人になる」とか何とかいう論を思い出した。つまり、「命」を得たものが「成長」するには時間が必要だと明言するのが面白かったということ。まあラフな映画を見てこんなことを考えるのは、「隙」に足を突っ込むようなものかもね(笑)


新たな世界を訪れたラリーは、古代エジプトの王マレンカレ(ベン・キングズレー)との宗教に関するやりとりの中で、「僕はユダヤ教と…」と言い掛け「ユダヤ人は好きだぞ、いい奴隷だった、幸せそうだった」と返され、「幸せじゃなかった、逃げ出したんだ」と主張する。そこはそれ、軽く終わる「ネタ」だけど、「種」を扱うこのシリーズの最終章にして、誰もが、つまり私だって先祖を持ち今を生きる「種」であることが示される。アクメンラー(ラミ・マレック)のお決まりのセリフ「ラリーはブルックリンの守護神だ」の映えること、初めて涙がこぼれそうになった。
また、ベン・スティラーが二役で演じるネアンデルタール人のラーの、「ラリーを似せて作った」ものに「命」が宿ったという出自は、垢太郎(はちょっと違うか…)じゃないけど「よくあるお伽噺」的だとはいえ、何やら新しい存在や家族の形を表してるようで、それも面白かった。


キャストについて、大好きなオーウェン・ウィルソンスティーヴ・クーガンのコンビは勿論最高。冒頭早々に大ネタで登場し、エンドクレジットの順なんてベン、ロビンの次と次だった。
一作目の悪者三人組のボスだったディック・ヴァン・ダイクにまた会えたのも嬉しい。彼が「踊り」ながら登場して「まだまだ現役」と言うだなんて、こういうベタさって、昨今なかなか見られないよね(笑)トレードマークの豊かな白髪が、こめかみに白いものをたくわえたベンの頭と向かい合う画はよかった。
「The Guest」のダン・スティーヴンスが登場するなり「The Guest」と言いまくるのはたまたまなのか、何なのか(笑)
ロビン・ウィリアムズの最後のセリフは、フィリップ・シーモア・ホフマンの「誰よりも狙われた男」のラストシーンのように「出来すぎ」で、それが悲しい。