思い、思われ、ふり、ふられ


映画が始まるや、四人それぞれの心の声を押し出してくる作りが異様に感じられ驚かされる。でも次第に分かってくる、これは「口に出すか出さないか」の話なんだって。尤も高校生の彼らの「口に出すか出さないか」問題は四人の間、それこそタイトルの「思い、思われ、ふり、ふられ」の間をぐるぐる回るのみである、当初は。

親の再婚により家族になって云々という漫画は多々あるけれど、ここでのそれは、子どもには自分の環境をどうにもできないということの表れである。序盤に朱里(浜辺美波)が母親(名前はなし/戸田菜穂)に対して声を荒げる場面からずっとそう思っていたら、終盤彼女が「私たちはまだ高校生だから無力」とちゃんと語ってくれる。

最後には理央(北村匠海)が両親に気持ちをぶつけ、朱里も母と笑いながら本当の気持ちを話し合う。この物語は、四人が(「思い、思われ、ふり、ふられ」の外に在る)親に自分の気持ちをぶつけられるまでに、恋を通じて成長する過程を描いている。ただ作中彼らと向かい合う大人を朱里の母だけにほぼ集約させているのは、原作は未読だけども少女漫画では娘と母の関係に重きが置かれるからだと思うけれど、映像で見るとやはり不自然な気がした。

祭りの晩の浜辺美波の顔の撮り方がすごい。よくあんなに醜く映したものだ。この作品の中で朱里の醜さ(とされるもの)が最も表れているのがあの場面だからというのは分かるけど、世の中もっと醜いことが死ぬ程あるし、お前呼ばわりする元彼にあんなふうに言われる筋合いは無いね!と思ってしまった(原作では多分、彼とのあれこれももっと詳しく描かれているんだろう)