カミーユ、恋はふたたび



フランスで公開週の興行成績1位を記録したという、ノエミ・ルボフスキー監督・脚本・主演による2012年作。


オープニングは緊張感も無く口をもぐもぐやっている女の顔のアップ。カメラが引くとそこは撮影現場で、彼女はタバコともぐもぐの後すぐに撮影を済ませ、仕事の痕跡を消し、酒を飲みながらバスで帰る。タバコや酒、猫までが降り注ぐ?オープニングクレジットは湯冷めでもしそうなほど長く、後で振り返ると、彼女、カミーユ(ノエミ・ルボフスキー)が「(タバコや酒を)25年やっててやめられない」という、その長さなのかもしれないと思う。


カミーユがタイムスリップした先は「85年」なんだからそりゃあ、私にとっては楽しい(やっぱり出た、「マドンナのスーザンを探して」という感じ・笑)家のドアを閉めると見える花がいつも同じ(ように見える)のが「奇跡」のシンボルのように感じられた。午前一時まで働く母(ヨランド・モロー!)が出掛けたあと、父(ミシェル・ヴュイエルモーズ)と二人で食事。「よく覚えてる」料理を前に、「一杯で止められないなら飲むな」がカミーユにはどのように聞こえたか分かって泣けた。ガレット・デ・ロワの場面では、父の「去年より美味しい」について考えた。色々可能性がある、「実際に」美味しくなったのか、昨年のことを忘れたのか、いずれにしても「時間」の問題だ。


この映画が面白いのは、カミーユが「戻っ」ても、変わったのは自分だけで世界はそのままだというところ(母の顛末はそのことをはっきり示している)。とても愛していると気付いた夫と「よりが戻る」わけでもなく、彼の最後の言葉は「勘定をしようか」。それでもそこには彼女の変化を受けた柔らかさが宿っている。雪のうっすら積もった道を歩いていくラストシーンのように、どこに向かうのか分からないけれど、カミーユは、彼が捉えたあの瞬間のように「悲しみはあるけれど前を向いて歩いていく」。


カミーユが唯一「変えた」のが高校の物理教師。彼が彼女の質問に答えてライターに火をつけ「過去は存在しない」と言った時から、映画には少し匂いの違う風が吹きこむ。後に無理やり上がり込む一人暮らしの彼の部屋が、「(「今」の後には)もう存在しない」はかなさを湛えているように思われる。


ノエミ・ルボフスキーはヴァレリア・ブルーニ・テデスキの映画に出たことがあるそうだけど(私は未見)、特に始めのうち、声が少々似ているなと思う。全篇通じて「フランス語」が耳に楽しかった。演劇の要素のためでもあるけど、それよりももっと実生活寄りの、例えば冒頭、カミーユが「浮気して自分を捨てた」夫につく悪態、タイムスリップしての授業中に友人が「容姿に点数を付けるクラスメイト」に言い返す練習をする、これもまた悪態の数々、その後にカミーユが経験を活かして「上品にタバコを吸うやり方」を教える時の言いぶりなどがいい。