笑福亭たま 人形町独演会



柳亭市弥「元犬」
笑福亭たま「走り餅」
笑福亭たま「辻占茶屋」
 (中入)
三遊亭円丈「夢一夜」
笑福亭たま「怒り心頭」
 (10/30・日本橋社会教育会館)


「東京自主公演60回記念」の会のゲストは円丈。日本橋社会教育会館には何度も来てるけど、初めて最前列に座ったら、同じ列の人がちょっと動く度にぐらぐら揺れて、こんなんだったかな?と戸惑ったけど、いいこともあった。以下に記す。


たまさんが二席終えて下がった後、円丈の出囃子がやたら長いのでどうしたのかと思っていたら、再びたまさんが出て来て頭を下げる。円丈が中入後の出演と勘違いし外してしまったそうで「師匠と一緒にお中入にしましょうか」「今トイレに行くと着物姿の師匠と一緒になれますよ」。言われてロビーに出たら、最前列だったせいか一番にすれ違った。どう反応していいものか分からず笑ってしまったら、後で円丈いわく「すれ違ったお客さん全員に笑われました、今日一番の笑いはこれかと」(笑)


東京で開催される東京の落語家さんの会では、「名前を出すだけで笑える」同僚が枕やくすぐりに便利に使われることも多いけど、上方の落語家さんの会だと、話に登場するのが知らない人ばかり(ということにしてくれている)だから、いちいち「説明」が付くのがまず楽しい。
愛知出身の私としては、三重在住の文我師匠に教わったという「走り餅」はお伊勢さん参り絡みの噺で、お侍は(語呂合わせのためだけど)蒲郡の出なんだから親しみやすい。見ながら昇太の「花粉寿司」を思い出した、あれ好きなんだよね(笑・昇太は上方の噺が好きだそうだから、通じる要素があるのかもね)


個人にもよるけど、上方の落語家さんの高座って、私にとってはのべつ「笑い」に向かって走ってるようで、大げさだけど「笑いの予感」の幸福感に満ちているようで、何でもない場面でも楽しくてしょうがない。たまさんの場合は特にそうで、口角あがりっぱなし。例えば「辻占茶屋」のオープニングのやりとりなんて、江戸の落語なら別に笑うところじゃないけど、喋ってる途中から可笑しくてしょうがない。
東京では初めての作りたての新作については、「スルースキル」なんて言葉、すなわち噺の柱に円丈との繋がり、後半のギャグの畳み掛けには関西の匂いを存分に感じられた。


円丈の高座にはもう一つハプニング?があった。「やろうと思っていたネタを末廣亭で掛けてみたがことごとく失敗した」(という話で例によってまず笑いを取る)そうで、最終的に「夢一夜」にした結果、見台が邪魔になってしまい途中で自らどける。高座返しを務めていたふう丈が片付けに出ようか出まいか迷うのが、私の席からはよく見えた(笑)
この噺の時に振る枕を聞きながら、「高座の上で死にたい」なんて夢を実現させるならここで暮らせばいい、というセンスにふと時代というか円丈の根っこを感じた。それから、「もうすぐ死ぬ(つもり)の人間が危険を嫌がる」というギャグにつき、「文七元結」なら「危ないだろ!」の一言で済むのを、ごてごていじったあげく「人間とは矛盾した生き物」とまで言っちゃうの、それが円丈なんだなと改めて(笑)