100歳の華麗なる冒険



原作はスウェーデンのベストセラー小説「窓から逃げた100歳老人」。同国の「国民的コメディ俳優」、ロバート・グスタフソンが青年期から100歳までを演じる。



「誕生日おめでとう」
「それもそうだな」


「運命は猫によって変わった」。一人暮らしの老人アラン(ロバート・グスタフソン)は、飼い猫が戸外で狐に殺されたのに腹を立て、爆弾を使って復讐し、施設へ送られた。周囲が100歳の誕生日を祝おうとしていた日、爆弾の音に惹かれて外へ出る。爆弾きちがいなのだ。窓から下りる時に花々を踏みつぶす場面に、日頃から花ってそんなに偉いのか!と思っているので嬉しくなった(笑・花に「責任」は無いんだけども)その他、全編に渡って死体、正しくは「ぞんざいに扱われる死体」が出てくるので私としては満足。
一人暮らしなら何でもなくとも、一旦施設に入ると「不在」が事件となってしまうというのは面白い。また名札に「アリス」とあるお洒落をしたスタッフが、「マジパンのケーキ」にろうそくを100本挿そうとするが、(10本入りのパックを使っているのに!)何本だったか分からなくなってしまうのが、後にアラン達がスーツケースの中の紙幣を「5000万クローナ」ときっちり数えるのと比べて妙に印象に残る。


映画はアランの「現在(誕生日当日)」と「これまで(0歳から100歳まで)」が、体感としては7対3程の割合で交互に描かれる。楽しく見たけど、どちらのパートも面白いというより、支え合っている、すなわち片方だけじゃ飽きちゃうだろうなあ、という思いがちらちら浮かんでしまった。全くもって「政治的」では無い一介のスウェーデン人が「世界」に影響を与えてきた、ということの「面白さ」は分かるんだけども。
アランの母親の遺言は「パパはあんなに色々考えて生きたけど何もかも無駄だった、世の中なるようにしかならない」。映画はその言葉に導かれるように進んで行く。アランが登場しない場面も全てそれに則った「アランの世界」だから、安心して楽しめる。それがコメディ、あるいはスケッチということなのかな、と思う。アランが父親の遺品のカメラでもって、自分視点で諸々を「おさめる」のも意味ありげだ。
東西冷戦の折に自ら(の過去)を「二重スパイだ」と語るのには、その「意識」に何だか妙な感じを受けた。ここでアランが「事は事を呼ぶ」と述べると、「現在」はその言葉に沿ってますます加速する。


最後の最後にちょっとしたひねり、もしくは最大の冗談がある。気の赴くままに「大当たり」人生を歩んできた100歳のアランの口から作中最も熱を持って出る言葉は、「そういうことはめったにない」。「だが明日には明日の風が吹く」…彼はまだ、とある「めったにないこと」を多少は待っているのだった。変なオチだ(笑)