舞妓はレディ



TOHOシネマズ錦糸町にて公開二日目に観賞。「TOHOシネマズデイ」のためか満席だった。


見ながらふと、「客席の皆さんもご一緒に京言葉を練習しましょう!」という場面があってもいいな、そういう客席参加型の映画があってもいいなと思った。自分が応えるかはともかく(笑)だって、少なくとも見てる最中は、どんなもんか口に出してみたくなるから。
ミュージカルのパートはスクリーンで見るには随分ぬるく、携帯電話の画面くらいが丁度いいんじゃないかと思う。作中一番ぐっときたのは、富司純子が四畳半だかのタンスにもたれて座り、遠くに三味線の音、喋らない女の子に自分の初恋の話をするという場面(あくまでもその後の「ミュージカル」シーンじゃない)。ちなみに彼女の登場シーンがちょっと面白い。


ピグマリオンものの複雑さは全くもって排除されている。教授は賭けはするものの「言葉」の部分を受け持つだけで、ヒロインを「育てる」のは街ぐるみ。更に、これは映画の意図じゃなく私の思い込みに違いないけど、男達の瞳に光を入れることで、彼らだって芸妓になりたいのだと言わんばかりの、すなわち皆が同じ方向に向かう「熱」を感じさせることで、めんどくさい部分に目が行かないようになっている。
「舞妓」という題材については、「女」にしか出来ない職業の「現在」について、富司純子の口からさらりと述べられる。「(自分の時とは違い)『現在』の芸妓は自立した『女』である」…すなわち「お金を稼ぐことができる」だけでなく「好きな人と一緒になれる」と。それでも見世出しの席に料理を前に座っている先生の画は心に残った。「ゴキブリはん」だろうと男は「あちら側」なんだから。「女の世界」が「男の世界」に依るという大原則は変わらないから、自分はあちら側に座らない男性を選ぶ自由を持ち続けたいと思った。