グレート デイズ! 夢に挑んだ父と子



ユナイテッド・シネマとしまえんにて、公開二日目に観賞。
予告編を見て、アイアンマンレースのスイムのスタートを上空から捉えた画に胸躍らせていたら、同居人は「少し気持ち悪い」と言う。いわゆる「蓮コラ」みたいに感じるのかな。それでも、大きなスクリーンの方がいいだろうから行き着けじゃなくシネコンで見ようと言ってくれた。作中、確かに苺の表面を拡大したような画が二度程あるも(笑)実際にニースで開催されたレース、特にスイムの映像はとても楽しかった。


冒頭、「ロープウェイの点検の仕事」から戻った父ポール(ジャック・ガンブラン)は、家の前の柵に車椅子から身を乗り出すほど待ち焦がれている息子ジュリアン(ファビアン・エロー)と姉の姿を見るや踵を返す。町の店でお酒でも飲むのかと思いきや、窓辺の席で「コーヒーを」。ここにやってきたのも、コーヒーを頼むのも、仕事をクビになったからではない、いつものことなんだろうと思い、ふと気を惹かれた。
自室のジュリアンは望遠鏡で鷲が舞うのを眺める(後に姉の台詞から、彼が「空を飛んだ」ことがあると分かる)。「女」に目を向けた後、消防団の仲間とジョギングする父親の姿を追う。ジュリアンのまばたきは、大きな鳥の羽ばたきのようだと思う。不思議なことに、その印象は、彼が「動き出す」と消えていく。


部屋に貼られた何枚もの写真や、彼を応援する仲間の「泳ぐ、漕ぐ、走る、それらは全て私達の夢です」という言葉から、ジュリアンが「トライアスロン」…を父親がやっていたとを知り「頭から離れなくなる」のは、「夢」をかなえる手立てに気付いてしまったからだと思う。新しい装備に覚束ない手付きの父親と共に初めて「自転車に乗る」場面の、表情の素晴らしさ。
レースにおいてジュリアンは、「頑張れ」「もう少し」などと絶えず口にする。こういうことってあまり言えないものだよなあと思うも、考えたら、彼がそんなことを言える相手は父親だけなのだ。だからこそ、この時の彼の「夢」をかなえることが出来るのは父親だけなのだ。


レースの終盤、父と息子の間に、ある「逆転」が生じる。おそらく17年間で初めて、「動けない」と「動ける」が逆転する。そこに「ドラマ」が生まれる。これはこの映画がトライアスロン、ひいては「体を(極限まで)使う」ということを描いているからこそ。演じる二人の肉体にも説得力がある。
振り返ると全編に渡って、「体を使った感情表現」が溢れている。母クレール(アレクサンドラ・ラミー)の話を聞いた同僚が、そのことには触れずに髪をカットし始めるのもそうだし、ジュリアンがポールへの反発から家を飛び出し「行けるところまで行く」のも、車椅子に乗った友達とじゃれ合うのも、「一人なの?」と遮る相手の足を踏んづけるのも、乗り込んだ先の門番に飛び掛かっていくのもそう。こうした「アクション」の重視には、作り手の意志を感じた。


クレールが夫に対していわく「失業して何週間も経つのに息子と関わろうとしない」「彼が生まれた時からずっと避けてる」「私は17年間あの子と毎日一緒なのに」。娘が母に対していわく「弟が元気なのは悪役(母親)のおかげよ」。これだけの「要素」が揃っていながら、この映画が「ありがち」な、「いいとこどりの父親」の話だとうんざりさせないのは何ゆえだろう?母が子に尽くすのが当然、という通念無しの「物語」だからだろうか。