ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅



公開初日、新宿武蔵野館にて観賞。
これまでぴんとこなかったアレクサンダー・ペイン監督の映画に初めてぐっときて、終盤泣いてしまった。大仰な言い方をすれば、国の思惑の下に生きるしかなかった男を、少なくとも「酒を飲むか否か」自分で決められる程度には自由な時代に生きる息子が支える話。



「俺は国に仕えて税金を払ってきたんだ
 好きなことをする権利がある」


オープニング、雪が残る道路の脇をこちらへ向かって歩いてくる老人。そのうち雪が消え、パトカーが停まる。全く田舎というやつは、車社会だから、歩いてるだけで不審に思われるんだよなあ…と私の実家近くのことなど思っていたら、よく見ればそこはハイウェイなのだった。


「保護」されたウディが、迎えに来た息子のデヴィッド(ウィル・フォーテ)に対して「100万ドルが当たったからもらいに行く」と言う場面で、演じるブルース・ダーン!の顔が初めてでかでかと映される。その面持ちは鮮烈かつしっかりしており、好きにさせてやればいいのにと思う。
その後、デヴィッドは元恋人の「よりを戻すにせよ別れるにせよ、何か行動を起こさなきゃ」という言葉を切っ掛けに、父親を連れて車でネブラスカへ向かうことにする。映画が一旦彼の方に重点を置くことで、旅立ちの理由は息子の方にもある、お節介じゃないと言い訳しているように感じられた。この点と、「オチ」について、お金があってよかったね、と言いたくなる点のみ、少々汚いなと思った。


デヴィッドは「確信」が持てないため恋人との結婚に到らず、「アル中」の父親に嫌気を感じているため酒は飲まない。考えた上で「しない」という息子の生き方は、「現代的」に思われる。
一方の父親が結婚したのは、本人によれば「やりたいからさ、あいつはカトリックだから」「やってるうちに子どもが出来た」、酒を飲むのは元恋人いわく「朝鮮戦争から帰ってきてから」。選択の余地無く戦争に行き、家庭を持ち、子を作るという生き方は、私には我知らず国、というかお上の思惑の下にあるようにも思われる。冒頭のセリフから、本人にもその「意識」が多少あることが分かる。この期に及んで、遮られても遮られても立ち上がって歩き出す姿は、初めて自ら向きを決めた「舵」にしがみついているようだ。


冒頭は建物のカットの次に内部のカット、というパターンが多く、どれも素晴らしく気が利きすぎといった感じさえ受けた。始めに一部を映しておいて、カメラが引くと周囲も映る、というパターンにも少々わざとらしさを感じてしまった(例えばデヴィッドが自宅で座ってる、カメラがもうちょっと広域を捉えると一人暮らしには大きすぎるソファが映る、そこへ「出て行った」恋人が現れる場面とか)。
「停滞」をイメージする場面が多々ある。中盤、父ウディと母ケイト(ジューン・スキッブ)それぞれの家族が眠る故郷の墓地の場面を見ながら、出てくる皆、死んでる人よりは生きてる、それでいいじゃんと思う。それからこの映画、色んな点で、カトリック信者の感想を聞いてみたいなと思った。


最後の故郷の場面で、店から出てきたかつての恋人がウディを見る時の表情が素晴らしく、いつまでも見ていたかった。ウディも彼女から目が離せないのは、やりたくてもやれなかった女だからとも言えるけど(笑)二人とも「分かる」んだものね。こういうとこ、卑怯だけど泣いてしまう。
兄?のアルバートがこちらに手を振る。庭先に置いた椅子に腰掛けるというのは、ウディもしていたこと(「父さんたら何を見てたのかしらねえ」)。アルバートの方には一体どんな過去があるのだろうと思う。ここにも何とも言えない余韻があった。