アルバート氏の人生



公開初日、TOHOシネマズシャンテにて観賞。とても面白かった。何も知らずに観るのがいいと思うから、予定のある人は以下を読まない方がいいかも。


あるホテルの夕食前。灯を点して回る男の手とうなじがアップになる。歩く足、呼び掛けに答え相手の名前を口にする声、そしてその顔が火に照らし出されるのと同時にタイトル「Albert Nobbs」。
物語は思いのほか?コメディタッチの語り口で進む。グレン・クローズ演じる「アルバートさん」が、仕事仲間との食卓で気を利かせたり(時代も規模も全然違うけど、昨年観た「マリー・アントワネットに別れを告げて」を思い出した)、「男」とベッドを共にするのにびくびくしたり。本作のグレンの顔の感じもあってか、坂田靖子の漫画のような雰囲気。


映画は「アルバートさん」を中心に、19世紀当初のダブリンの状況、そこで労働者として生きる人々の姿が描かれる。ホテルの従業員の面々の描写、とくに仮装舞踏会の夜の一幕なんて楽しい。起きているのがやっとの爺さん、人目を盗んでは酒を口に運ぶアル中寸前のおっさん、目と目を交し合う若い二人…そして彼らを「見る」アルバート。一昔前ならエマ・トンプソンが演っててもおかしくない(彼女にしては少々「くだけ」すぎかな?)メアリーの感じがとてもいい。彼女とドクター(ブレンダン・グリーソン)のセックスシーンが非「挿入」場面なのは、勿論その方が色んな「効果」があるからだろうけど、私には、大人の男女は妊娠する危険を冒さない、ということの現れに思われた。
塗装職人ヒューバート(ジャネット・マクティア)が、アルバートの部屋に泊まった翌日早々に「身の上話を聞くかい?」と持ち出すのをはじめ、ホテルのメイドのヘレン(ミア・ワシコウスカ)、新たに雇われたジョー(アーロン・ジョンソン)、そしてアルバート、皆が自分の口で「自らのこれまで」を語る。「品位の無い暮らしはしたくない」というアルバートの言葉に胸打たれた。海辺で走り出し転ぶ姿に、男とか女とか以前に、まず「人間」として生きてこられなかったのだと思う。「女」ゆえに苦労するってことは、「人間」としての尊厳を奪われるってことだ。


アルバートさん」はおよそこんな人物だろう、と勝手に想像してたのが、他者との関わりによって少しずつ「実際のところ」が分かっていくのが面白い。中でも「面白い」のは、アルバートがヘレンを「愛する」ようになるくだり。
アルバートには他人の言葉を鵜呑みにしやすいところがある。終盤へレンに「置いていかれるよ」としきりに言うのも、聞いたことを受けて言っているように思われる。ヒューバートの家を初めて訪ねた際の目の輝きからして、アルバートは「夫妻」に希望を抱くあまり、当のヒューバートの「ヘレンはいい娘だぞ」という一言に囚われてしまったのではないかと思う。帰路に夢想するタバコ屋のカウンターにはまずヒューバートの妻の姿があり、それがヘレンに変わるのだから。またヒューバートが妻を亡くしたと知るやいなや「孤独な者同士、支え合いながら生きていこう」なんて誘うのだから。「家族」を持ちたい一心なのだ。
しかし何十年ぶりかで「女」の格好をした…初めて「解放」されたその翌日、ヘレンに会うために「男」として勝負を賭けるような装いをする。アルバートはそういう人間だ。


ヘレンは始めのうち、アルバートに対し自分から喋り、笑いかけているが、彼が「男」としてアプローチしてきた時から態度を一変させる。そりゃそうだろう。多くの女性が経験したことのある困惑じゃないかな?彼女の「普通」ぶりは見ていて清々しい。アルバートにも眩しく映っただろうか。
そんなヘレンには、はためくシーツの予感がつきまとう。仮面舞踏会を抜け出した夜の冷たそうなそれと、ラスト、陽の光が透ける暖かそうなそれ。あの後、彼女がどうなるか、どうするかは分からないけど、希望は満ちている。それはアルバートが撒いた種によるものだ。


ドクターはアルバートの死に際して「かくも哀れな人生…」と言うけれど、私はそう思わない。ヘレンの方から初めて「触れ合い」を求められ、「時計」の夢を見ながら笑顔で逝ったんだもの。それにアルバートのことだから、ヘレンがジョーに捨てられたらまたアタックすればいい、と思ってたに違いない(笑)加えて正直なところ、今だって「女」ゆえの不幸は厳然と在るから、アルバートが「特別」には思えないってのもある。
アルバートが「幸せ」だったか否かは「分からない」けれど、ドクターがそのようなことを言う、というのも本作の「面白い」ところだ。アルバートとヒューバートにせよ、ヘレンにせよ、ドクターにせよ、「理解」し合ってはいない。でも関わり合い、影響を与え合っている、そういう話だ。壊れたボイラーが動き出すのが、始まりの合図のようだ。


冒頭、仲間と騒ぎながら食堂に現れ顰蹙を買う子爵にジョナサン・リース・マイヤーズ。クレジットは「and」表記だから特別出演か。「性」の問題に振り回される労働者階級に対し、「金持ち」であればあんなに自由でいられる、という対比のための存在に思われた。ぶよった腹は放蕩貴族の役作りならいいけど(笑)