私にもできる! イケてる女の10(以上)のこと



邦題からは内容が分からないけど、ジャケ裏の文章に「93年に高校を卒業した〜」とあり、自分と同じだから思わずレンタルしてしまった。卒業生総代に選ばれる程の優等生、だけど処女のブランディ(オーブリー・プラザ)が、大学入学までにセックスするため、性行為の「The To Do List」(原題)を作り実行していくという話。面白かった!


(以下「ネタバレ」あり)


オープニングクレジットの映像から当時のあれこれが使われており楽しいけど、なぜこの時代?と思いつつ見ていたら、ブランディがリストを作るのにルーズリーフに定規で線を引く場面でぐっときた(エクセルじゃないわけ)。次いで性行為に関する「俗語」の数々を、辞書を引くも意味が分からず聞いたままペンで書き込んでいく姿に、こうしたリストを「検索」無しで作るのが自然な最後の時代だからという理由もあるのかな、と思った。
オープニングに出てくるマッキントッシュのコンピュータはまだ高値の花のようで、ブランディは当初のリストに「コンピュータを買うお金を貯める」項目を入れている。映画のラスト、93年の秋に初めて彼女の口から「電子メール」という言葉が出てくる。私は当時はまだまだ、メールなんてしてなかったな。次の年にPHSを買ったくらい。


「心の準備と避妊具」さえあれば、私だってセックスできる!と意気込むオーブリーは、性行為を他の色々な事と同じに捉えているから、いつでもどこでもその話題を口にし、「悦び」は自分で求めなきゃと努力する。日常的にセックスしている女友達や姉の方が、場合によっては話題を避けたり、自慰は「グロいからしない」と言ったりするんだから妙なものだ。私はオーブリーの姿勢は「正しい」と思うけど、性行為(の大部分)の他の諸々との大きな違いは、「他人」とするってこと。彼女は実践と周囲とのやりとりを通じて、セックスは「特別なことじゃない」けど、「感情と『正しい相手』が大事」ということを学ぶのだった。
全編に渡って、「男に求められる」感覚がゼロというのが気持ちいい。ビキニ姿で男の目を引くのも、そのこと自体じゃなく「自分がセックスする」ことが目的。邦題に沿って言うなら、彼女が目指す「イケてる女」とは、男じゃなく自分がそう思える女だってこと。女友達がブランディを責める理由が、彼女が「ヤリマン」だから(=理由も無しに)じゃなく、自分の好きな男とそういうことされるのが嫌だから、というのもいい。それなら納得できる。
加えてこの手の映画じゃ、特に女子が「性」の冒険をする場合、「しない」、あるいは「『本当に』に好きな相手とする」というくそみたいな結果に終わることも多いけど、本作では、かっこいいだけで気が合わない(と後に分かる)相手と挿入に到るというのもいい。リストの最終目的だった「セックス」が「1分」で終わるんだから面白い。


ブランディがラスティ(スコット・ポーター/「マーキー・マークみたい!」な腹筋の持主・笑)がギターの弾き語り(デフレパードの「Pour some sugar on me」!)をしている姿を目にすると、二人以外の全てが消え失せ、彼女は突如ぎこちなく踊り出す。ブランディに思いを寄せる男友達のキャメロン(ジョニー・シモンズ)も、彼女にデートを了承してもらった際、ベッドの上で友達と踊り出す。ブランディの方はラスティとのデートの約束に、ロジャー・ラビットのダンスを踊る(笑)こういう「体が動いちゃう」場面って好き。
このキャメロンは、ブランディが言うように「女の理想のタイプ」。冒頭彼女について言うには「女っぽくないしロボットみたいと思うこともある」、それでも「好き」というのが嬉しいよね。映画館で「愛してる!」と叫ばれるのは困っちゃうけど(笑)
ブランディが夏休みに働くプールのボスを演じるビル・ヘイダーは、「アドベンチャーランドへようこそ」の、やはりアルバイト先の遊園地の経営者であるビル・ヘイダーを思い出させる。旅立ってゆく主人公達に対し、地元でやっていく者として。ところがそう思いながら見ていたら、ラスト、彼もまた「世界へ出て行く」と宣言するのだった。少々がっかりしていたら、その「理由」が可笑しくて、それならいっか、と嬉しくなった(笑)


オーブリー・プラザの液体の飲みっぷりがあまりにいいので、全然「美味しそう」ってわけじゃないのに、見終わるとお酒が飲みたくなった(笑)