最近見たもの


韓国映画三本


立て続けに公開されている話題の韓国映画三本を、順に観賞。


「お嬢さん」に対する感想はあまり無い。ただ、スッキ(キム・テリ)の「天性のものですね」に対する秀子(キム・ミニ)の笑顔、あれは何にも勝る。私は物心ついた時からお腹の底に固い何かがあるような気がするんだけど、あの時のお嬢さんの気持ちに同化するとそれが一気に溶けて無くなるような感じがした。もう一つ良かったのは、「憎めない」という表現では全然手の届かない、ハ・ジョンウ演じる藤原伯爵のキャラクター。「あの女だけはこちらを見返してきた」と気付いているのに目覚めることのない、人間の面白さ。


「アシュラ」の「悪役」ファン・ジョンミンは私としてはよくない意味で予想通り、一番美味しい役はやはりチョン・ウソン(まあ「美味しい役」がどうとかいう類の映画じゃないけど・笑)。それにしても彼とチュ・ジフンとの組み合わせはしゅっとしすぎで、脚の長さ、合わせて何センチだよと思ってしまった。カーチェイスと、この手の映画じゃ付き物の「女」と「ごちそう」が無くまさに一直線って感じなのが楽しかった。


いっとう好みだったのは「哭声 コクソン」で、何て言うか、こんなに気楽に見られる映画は久々って感じ。情報量が少ないからぼーっと見られたという意味ではなく(すごく多いとも思わなかったけど)、冒頭ジョング(クァク・ドウォン)が目撃者の話を聞くところでふと、不幸になるやつぁご苦労さん、というフレーズが頭に浮かんだものだけど、そういうスタンスで見られたから。彼の娘が「選ばれる」のは理不尽な経緯によるし、誰が地獄に堕ちるか分からない。悪魔憑きだろうと何だろうと現実もそう、それを映画で見るのは面白い。ジョングの父親としてのストーリーによってそれが一層活き、そのうちに、冒頭一見だらだらと紡がれていた家庭の描写が思い出される仕組み。


こちらのファン・ジョンミンは身も心も軽い感じが最高、タートルネックがうさん臭さに輪を掛けていた。一方で「韓国じゃ子どもが見ると泣き出すようになった」と話題の國村隼は全くもって怖くなかった(だからダメだという訳じゃないけど)。あのキャラクターの怖さはほぼ「分からない」ということに依拠してるから、日本人であれを「怖い」と思うなら、村人達の視点でもって見てるってことだよね?私はその視点が持てなかった、「日本人」の殻から出られなかったんだと思う。


ヨーヨー・マと旅するシルクロード



映画が始まると、部屋の奥からヨーヨーが現れて「僕のチェロだよ、知ってる?」。場面換わって、一瞬管楽器かと思う汽笛の音、果物を絞る音、鳥の飛び立つ音、ああこれは港の音楽だと思っていると、そこに集まったメンバーが音楽を重ねるという、楽しいオープニング。タイトルの後はヨーヨーが弾くバッハの無伴奏チェロ組曲第1番(やはりこれは素晴らしい!)に乗せて、息子や友人ジョン・ウィリアムズの言葉を引用しつつ、彼のこれまでを見せる。子どもの頃の私が見ていた「天才少年」が、音楽を選ぶことなく音楽家として生きて来た過程である。ここがまず面白かった。


シルクロード・アンサンブルの演奏もそりゃあ楽しいけど、私は楽器の種類が少ない演奏の方が好きなので、この映画、とても面白かったけど、演奏シーンについては「メイン」じゃない方が好みだった。彼らの演奏を見ながら、聴きながら、「音楽家に何が出来るか」なんて音楽家が考えなくてもいいような世界がやっぱり理想だな、と思った。聴く側としては、音楽だけで十分だもの。


冒頭の講演でヨーヨーが披露する「芸術家と大人には同時になれない」という「昔のジョーク」を、後の「芸術家は国に目をつけられる」という話題の時にふと思い出し、大人とは何だろうと考えた。作中最も心に残った言葉は、妻も居る故郷に帰りたくても帰れないイランのケマンチェ奏者ケイハン氏の「とにかく会えるところで会う、場所はどこでもいい(大意)」。夫婦はどこだかで待ち合わせて共に時間を過ごす。そういう生き方があるという事に、何も言葉が出ない。

▼エイミー、エイミー、エイミー! こじらせシングルライフの抜け出し方



エイミー(エイミー・シューマー)の父親のような人には幾らか覚えがある。「浮気」がどうとかじゃなく、キム(ブリー・ラーソン)とトム(マイク・バービグリア)の息子の言動や「アリスのティーカップ」なんて店の名前を肴に女(かつての私)と共犯関係を結ぶような男。私はもうそういうことはしない。とはいえ妊娠パーティの女性達は苦手だ。「今」ああいう人に遭遇したらどうすればいいだろう、エイミーは彼とどういう関係を作るのだろうと思いながら見ていたら、父親は死んでしまった。葬儀の際のエイミーのスピーチは面白かった(キムの息子が挙手するなんざ上手い・笑)けど、都合よく消された感じもした。


冒頭のエイミーと同僚の「どのジョニー・デップが…」のやりとりのくだりが、この映画が動きのないものだと教えてくれる。これこそ映画じゃなく友達とすればいい話(笑)でもエイミーの「ママはイケてた、仰向けでもおっぱいが流れなかった、私のは寝ると『あばよ』って感じ」で場面換わってボーイフレンドとのセックスの場面で、確かに「あばよ」状態なのは可笑しかった。あれは映画ならではの楽しさ。
「この回想シーン、つまんない?」も確かにいまいちだったけど、初めてのディナーがよかった。テーブルでの笑っちゃう出来事、タクシーのなかでのアーロン(ビル・ヘイダー)の顔!事後のベッドでの彼の「試してみる価値がある」はよかった、ああいう一言が言いたいし、言ってほしい。あの場面が、授賞式の後の言い合いの内容(「どうせしばらく会わないんでしょ?」「どうして?議論してるんだ、話し合って解決していけばいい」)に繋がってるんだよね。


ミニスカート映画としては「ブリジット・ジョーンズの日記」の方が好みだ。こちらには「父親の呪い」(なんて陳腐なもの!)が設定されているゆえか。とはいえ私も30代の頃はあれくらいの長さのしか履かなかったから、親近感が沸いた。トイレもセックスも楽でいい(ということが、初めてアーロンの部屋を訪れたときに分かるよね・笑)
エイミーが「保守的な場」にあのような格好で出向くこと(とその顛末)については、どう飲み込めばいいのか分からなかった。要するに二人とも完璧じゃないということかな。「チアリーダーが苦手」というネタもいまいちよく分からなかった。セックスではないところで体を動かす女に劣等感を抱いているということなんだろうか?彼女が「女の恥」と言う場面、作中一番、何ていうか心の奥底を見たような気がした。