少女は自転車にのって



サウジアラビア初の女性監督による作品。サウジアラビアでは映画館の設置が法律で禁じられているため映画産業が発展しておらず、今年作られた長編はこれ一本きりなのだそう。facebookの公式ページには、本作がアカデミー賞外国語映画賞サウジアラビア代表に選ばれたことにつき、監督の(一本しか存在しないのだから選ばれて当たり前、ではなく)「映画館のない国の政府が、この映画をサウジアラビアの映画だと認めて代表に推薦してくれたことが嬉しい」という言葉が載っていた。
10歳の少女ワジダ(原題)が自転車に乗って駆けてゆく、車が行き交う大通りを前にいったん進むのを止める、彼女がママのように大人になった時、女が自動車に乗れるようになっているかというと、それは難しい、でも希望に満ちた映画だと思った。自分も何かすることが出来るだろうか?


コーランを朗唱する子ども達の足元(あんなふうに歌われて「神様」は嬉しいだろうか?なんて考えるものじゃないか)、一人だけコンバースバスケットシューズを履いたワジダの登場から、少しずつ、丁寧に、サウジアラビアと彼女自身の状況とを見せてくれる。自室のラジカセ、靴紐を結ぶ際にちらりと見えるジーンズ。完璧なヘアメイクをしながら目以外全て覆って外へ出るママと、「エアコンの無い」車の中であっつー!とばかりに手で顔を扇いでいる女性。試着室が無いのには驚いた、そりゃそっか、気付かなかった。不便極まる。コーランを覚えるためのゲームソフトなんてものがあるなんて。「宗教クラブ」で、先生の「生理の時にはコーランに直に触ってはいけません」、「(結婚した生徒に向かって)旦那様はお幾つ?」「20歳です」などの「性的」な話題になると生徒達が笑い出すのも興味深い。私にはちょっとぴんとこない。
ワジダの頭の回転がよく、口がうまいのが楽しい。「女は自転車に乗れないんだよ」「それじゃあ私と競争して負けたら男の恥ね」。「娘は学校に通ってる、おれは行かなかったけど」「そりゃそうね、礼儀を知らないもの」。「神のために自爆すると、あの世で70人の妻を娶れるんだって」「そうなんだ、バーン!で自転車70台もらえるってこと?」なんて、馬鹿馬鹿しさが際立つ。


作中初めてのワジダの輝くような笑顔は、久々に帰ってきたパパに向けられたものなのに、おみやげの石をお守りに頑張り「自慢の娘」と誉められても、家系図には載せてもらえない、どころか握りつぶされてしまうのだからむなしいにも程がある。
自転車の欲しいワジダに加え、自動車に乗ることのできないママも本作の主役と言える(女性の運転する権利を求める活動が伝えられた今年、タイムリーな映画だとも言える)。男の子が産めず義母には邪険にされ、たまにしか帰ってこない夫を繋ぎとめるために頑張る毎日。娘と二人だけの時と三人の時とでは、おかずが全然違う。パパの好みの髪型、好みのドレスを着て、男のために女同士で競争するよう仕向けられる。
「結婚式」の夜、男に見られないように隠れた屋上の「塀」の「こちら側」で、ワジダとママが話す場面には涙が出てしまった。「ママは愛してるの?」「誰のこと?」「パパのこと」。「塀」と言えば、冒頭、工事現場の塀の向こうをまだ誰のものでもない自転車が、まるでひとりで走っているかのようにすーっとゆく場面も面白かった。


ワジダの男友達・アブドゥラ君は、今年観た映画の中でも屈指のいい男!コーラン大会で優勝しても賞金をもらえなかった彼女に「ぼくの自転車をあげるよ」「それじゃあ一緒に競争できないじゃん」という、このやりとりだけでもぐっとくるけど、その後の一言には参った。実際にどうこうじゃなく、その気持ちがね。
彼だって、始めは「女は自転車に乗れないよ」「君には追い付けないよ」と自分だけ乗り回してワジダをからかっている。「好きだから意地悪する」なんて、私は嫌いだから、認められない(笑)でも彼女とのやりとりで「変わって」いく。もっとも彼の側の「同性の友達」の描写は無かったから、男の子達とのサッカーを抜けて、自転車に笑顔のワジダのところへ飛んでいくなんて、苛められやしないかと心配になってしまったけど。
最後の場面で、アブドゥラ君がワジダに追いつかず(追わず?)じまいなのは、画面のよさってのもあるんだろうけど、彼女が速すぎる、とも考えられるし、大きな道に出る(阻まれる)時は一人、とも考えられる。ともあれ素晴らしいラストシーンだった。