不機嫌なママにメルシィ!



公開初日、新宿武蔵野館にて観賞。何度も笑った、面白かった。
ギョーム・ガリエンヌが自らの半生を描いた戯曲を監督兼一人二役で映画化。これを見る限り、彼は映画監督としても天才、しかも素直なタイプの天才だと思う。


(以下「ネタバレ」あり)


複雑なことを複雑に表現する面白さ、一見めくるめくお遊びのようで辻褄が合っている、しかも内側からじゃなく外側から合わせてくるあたり、哲学じゃなく心理学的な映画だなと思った。
セラピーを受ける場面が何度もあり、最初の一人からずっと、そんなことあるわけないと思わせられるコメディ要素なんだけど、最後の一人だけはギョームに「まとも」なことを問う。するとギョームが座りたく思うカウチを陣取っていた「ママ」が消え、次からは、ママはギョームの「不意にママの声がした」という語りの後に(すなわちそれが「妄想」であるという自覚と共に)登場するようになる。「実際」に、セラピーによる何らかの効果があったのかなと思う。


オープニング、ギョーム・ガリエンヌ演じるギョームが、楽屋で顔の白塗りを「落とし」て舞台へと向かう。ギョームが語り始めると「ママ」が登場する。ロマンス小説と煙草、茶器と猫をベッドに盛り合わせて横座りする彼女もまた、舞台の登場人物のようだ。立ち上がった彼女はトイレへ向かい、ドアを開けたまま便器に座って話を続ける。「実際」そうだったのかもしれないけど、ママと「トイレ」とは密接な関係にある。祖母宅では「お茶ばかりで膀胱がぱんぱん」「ナイアガラの滝みたいに出たわ!」、男子寮でもトイレの個室から現れる。
映画はギョームの旅と共に次第に「舞台」感を薄め、最後には、「今」のギョームが舞台に立っているという「現実」が浮かび上がる。このあたりの感覚が面白い。


息子を「男」とは見ない母親が、息子を「男」にしたい父親に配慮して男の服ばかりを与えるが、息子は与えられたもので出来るだけ「女」らしく装おうとする、でもってそれを当の母親が父親の横で見る、息子と母親は同一人物…という複雑なシーンの見がいがあること!(笑)
ともあれこのシーンから、ギョームの「なりきり」に対する創意工夫が描かれ始める。布団とベルト、頭に被ったセーターでお妃になるなんて場面が、その「身につける」仕草からして楽しい。やがて、ママが喜んでくれないのは彼女の真似をしているからではと思い、視点を広げ、祖母に始まりまずは身内の、更に周囲の女性達を「観察して、真似する」ようになる。少なくとも作中で舞台に立っているギョームの、役者になった由来も語られるのが面白い。


出てると知らなかった豪華ゲストが二人、エンドクレジットでも特別扱い。公式サイトにも載ってるから書いちゃうと、うち一人はレダ・カテブ。登場した時には身を乗り出しそうになってしまった。男前じゃないけど超セクシーだよね。しかも出てる映画、というか役柄は大抵面白い。