悪の法則



私は映画を見て自分で理屈をつけるのが好きだから、このように向こうからばんばん言葉で説明してくる作品はあまり楽しめない。何であれ、それを「どう」見せるかが映画の魅力だとしても。だからってわけじゃないけど(笑)以下はまあ、メモ書き。


オープニングは二組のカップルの様子。ここでの会話や様子には惹き込まれた。「いやらしいことを言ってくれ」「『服を脱がせて』」「もう脱いでるじゃないか」「そんなこと関係ない」「ダメだよ、現実に即してなきゃ」…と、マイケル・ファスベンダー演じる「The Councelor(原題)」。
一方、キャメロン・ディアスは姿勢よく馬に乗り、チーターと並んで走る。ハビエル・バルデムが双眼鏡で見ている。全編通じて、キャメロンとその装いが素晴らしい。衣装はどれも、私が着たら座敷わらしみたいになりそうなやつばかり(笑)
本作で面白いと思ったのは、人間社会において「野生」の概念を実現するためには、意識して「装う」ことが必要なのだという考え方。揃えただけの爪のペネロペ・クルスと銀に塗った爪のキャメロン、「自然」な前者こそ「野生」から程遠いってこと。「パンティ」まで「アニマル柄」というのには笑ってしまったけど。


終盤とある「カウンセリング」の最中(この場面のファスベンダーはなぜあんなに爪が汚いのか?)、これは「あとの祭り」の物語、ファスベンダーがあることをしてしまってからの話なんだ、だからずっと胸騒ぎがしてたんだと気付いて、最初から見直したくなった。
ファスベンダーだけじゃなくペネロペにとっても「あとの祭り」の物語であり、キャメロンとの会話でファスベンダーから貰ったダイヤモンドの値段を「知りたくない」という時点で彼女の運命は決まってしまっているとも言える(もしそれを「知」れば、なぜそんなものを買えたのか疑問に思うはずだから)。そう考えると本作は、女にとっては、性器やお金は自分で管理しよう!(管理するってのは無闇に使わないってことじゃないよ)といういい話に思われる(笑)キャメロンの「カーセックス」だって、男が「萎える」という「効果」を分かってやっているくらいなんだから。


一番印象的だったセリフは、最後の方で放たれる「中国語なんてすぐ覚える」。ああいうのが好きなんだ。