007 スカイフォール



公開初日、TOHOシネマズ日劇にて観賞。映画の日ということもあってか、どの回も満席。


観終わって一番に思ったのは、こんなに分かりやすい映画、久々だなってこと。振り返ってみると「分からない」部分もあるんだけど、とりあえずその場では、ぼーっと観てても全然楽しめる。こういう映画って貴重。


ダニエル・クレイグの瞳の闇に吸い込まれて終わるオープニング・クレジットの後、彼によるジェームズ・ボンドは骸骨のようにも見えるシルエットで登場、光の中にまたしてもその瞳が照らし出される。ダニエルの、暗くても彼と分かるシルエットがこんなに活かされてる映画は初めてじゃないかな?
この後の一幕において、ボンドは撃たれた工作員を手当てしようとするが、M(ジュディ・デンチ)の指令により部屋を後にする。この時、工作員はボンドを恨みがましくでもなく、瀕死の中で首を回してただ見る。女王陛下の忠犬達の使命…命はこうして繋がっているんだなと思った。また、この物語の「後」のボンドなら、同じような場でどう対処するだろう、なんて想像した。


心に残ったのは、ボンドがQ(ベン・ウィショー)から渡された指紋認証の銃に手を掛けてみた時、またホテルのドアのこちらでイヴ(ナオミ・ハリス)の声を聞いた時などの、仲間をふと思った笑み。昔の007シリーズは勿論、ダニエル版になってからも前二作のボンドにこういうイメージは無かった。本作ではボンドは組織を思い、組織からも思われている風だ。
その印象を強固にするのが、後半、QとMの部下のタナー、そしてマロリー(レイフ・ファインズ)という「脇役」3人が、ボンドとMを助けるべく「上」に背いて決起する場面。世界がふっと広がる感じがしていい。ちなみにここで、肩?を怪我したマロリーのシャツの袖が切られてるのもいい(笑)


イスタンブールから上海、マカオとめぐり舞台はロンドンへ、続く公聴会の場面が物語の肝だ。Mがテニスンの詩を語った後、マロリーが見せる男気、彼に対するボンドのウインク、そして開いたままのドアでボンドを思い通りに誘導してきたシルヴァ(ハビエル・バルデム)の顔に初めて浮かぶ、焦りの色。そもそもMの「あなた方は自分が安全だとお思いですか」なんて言葉の後に飛び込んでくるんだから、シルヴァの方がはめられたといってもいいくらい。これも計算の内なんだろうか?その後はボンドの方が「パンくず」によって、シルヴァを「過去」へとおびき出す。
正直なところ、M言うところの「国家でも軍隊でもない、顔を持たない敵」に立ち向かうことが「愛国心」になぜ結びつくのか、私には分からない。「個人」活動は難しい、でも頑張ってるのがバットマン、ってことになるのかな(笑)


007シリーズのオープニング・クレジットはどれも苦手で、早く終わらないかなあと思いながら見てる(「ゴールドフィンガー」は好き)。端的に言うと人格の無い女体がたくさん出てくるのが不愉快だから。ダニエル版ボンドになってからは、それとは違う、ダサく感じられるという理由で嫌い。「よさが分からない」というのは好きな言い回しじゃないけど、こういう時に使うんだろうか?
ダニエル版ボンドでは、オープニングから彼の「内面」を語ると宣言することで、女の「誰」性=人格が無いことが気にならなくなる。こういうのって、少女漫画で昔から「プレイボーイ」に与えられてきたエクスキューズだよね(笑)ダニエル版ボンドが観易いのはそれよりもまず、単純に、女が馬鹿にされておらず(セックスしたり死んだりというのは面白いから全然アリ、そういうことじゃない)、男がエロいからだよね(「女」に対してエロいんじゃなく、自らがエロいってこと、つまり色んな視点が許されてるってこと)


それにしても、テーマ曲がはっきり流れるのが「無線」と「アストンマーチン」の場面というのは、結局あの曲は「過去」にしかそぐわないと宣言されてるようで、ものすごくアガった反面、振り返ると引っ掛かってしまう。次作において、あの曲はどんな場面で聴けるんだろう?想像がつかないだけに楽しみ。